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「敏郎さん、お帰りなさいませ…ってあら、ご友人ですか?」
「違う、ただの頭がおかしい奴だ」
丘を抜けて坂道を下りると現代では住宅街となっている場所も点々と家が建っている程度の場所だった。緑が多く田んぼが広がっていてのどかな田園風景、といった感じなのだが連れてこられた志木の家はこの辺りで一番大きく格式高い造りとなっている。背の高い門を入って玄関に足を踏み入れれば広い玄関に中年の女性が立っていた。着物に割烹着を着ており、髪の毛を一つに纏めている。これは昭和の典型的な母親のスタイルだ。色んな媒体で見たことがある。
訝しげにこちらを見ている女性にも手厳しい言葉を投げかけながら荷物を放るような雑さで上がり框に押し付けられて体の節々が音を上げる。
「い、痛い…怪我しているんだから手加減してくれよ」
「うるさい。さっさと上がれ」
ここに連れてくるまでも腕を引っ張らて来たのだが、その際に「怪我をしているからもっとゆっくり歩いてくれ」と言ったら最初は取り合わなかったものの、捻っている足を引きずって痛がったらきまりが悪そうな顔しながらもペースを落としてくれた。なんだかんだ言って聞き入れてくれるあたり意外と優しいのかもしれないと思ったがここでの扱いを見るとどうなのか分からない。
靴を脱いで上がり框に上がると階段を下りる音がしてもう一人中年の女性がやって来た。
「あら、敏郎。お友達?」
「いや、頭のおかしい奴だ」
「どういうこと?お友達じゃないの?その方はいったい…」
もう一人の中年女性はまとめ髪に紺絣の着物を着ている。先程玄関で迎えられた中年女性と同じように穏やかな雰囲気を纏っているが、こちらの女性の方が上品さがある。きっと良い家柄の育ちなのだろう。着物の女性は怪訝そうな顔でこちらの全身をくまなく観察した後、何かを察したように口を開いた。
「喜代さん、今すぐお湯と薬を用意してくれるかしら」
喜代、と呼ばれた中年女性が「はい、奥様」と言って足早に廊下の奥へと消えて行った。ようやく合点がいった。玄関で迎えられた中年女性が家政婦でこの目の前にいる気品のある中年女性は「奥様」と呼ばれていたことから恐らく志木の母親なのだろう。よく見たら志木とどことなく顔立ちも似ている。
母親の突然の言葉に志木は動揺しているようで茫然とその姿を見送った後慌てて異議を申し立てた。
「お、おい、母さん。何する気だよ。」
「何って、この方は怪我しているのよ。手当てしてあげないと駄目でしょう?」
「でもそいつは素性の分からない奴なんだぞ。そんな怪しい奴に手当てなんて…」
「貴方がこの家に連れてきた以上はこの方はれっきとしたお客様です。貴方はこの方を家に連れてきても良いと判断したから連れてきたのでしょう?」
母親からの言葉に言い返すこともできずに志木は黙った。穏やかそうに見えて意外と殊勝なようだ。そして息子を上手く言いくるめるところはうちの母親に似ているかもしれないなとふと思う。志木を横目で見れば目が合ってしまい慌てて視線を逸らした。一瞬見えたその表情は苦虫を噛み潰したようだった。
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