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 久世は、男らしくて凛とした顔立ちをしていたけれど、目だけがなぜか青かった。どうみても日本人の顔なのに、眼だけが、灰色がかった青だったのだ。両親は宮城県の出身で、東北ではまれに目の色が薄い子どもが生まれるらしい。  そのことでからかわれたり、いじめられたりするのが嫌で身体を鍛えるようになったのだ、といつだったか久世が教えてくれた。彼は見かけるたびにどこかを走っていたり、何かのトレーニングの最中だったりした。 「どうして毎日そんなに走るの?つらくない?」  おれの質問に久世は首を傾げて言った。 「じゃあ成松、お前はなんで小説を読んだり書いたりするんだ?面倒くさくないか」  おれたちが十八まで住んでいた街は片田舎の漁港だったが、年々漁獲量が落ちているせいで街全体が陰鬱とした雰囲気に包まれていた。気候はきびしく、始終魚の生臭い匂いが漂っていて、死にかけた街、と久世はよく口にした。シャッター街の元商店街も、つぎつぎと廃校になっていく学校も、まさに死に近づいている人間を思わせるものだった。 「現実を忘れたいからかな。本を読んでいるときだけは、別の世界を旅できる」  久世はスポーツ推薦で都会の大学に進学することが決まっていた。何をしていてもつまらない顔をしていた久世が、走っているときだけは別人のように目を輝かせる。おれはそれが少し嫌だった。隅々まで知っていると思っていた幼馴染が、赤の他人になってしまったような気がしていた。  海沿いの道は風が強くて、とてもじゃないがこんなところ一時間も走れない。久世は飽きもせずに毎日この道を走り、砂浜を走り、裏手にある山を走っていた。 「おれも同じだ。走ってると頭を空っぽにできて、悩みがなくなる」 「悩みって?」  久世は少し笑っただけで何も言わなかった。防波堤から飛び降りてきた久世は、おれの隣に並んでアスファルトの上を歩いた。短い黒髪に日焼けした肌。精悍な顔立ちをしている彼がこちらを見た。目が合う。瑠璃色の目は、何度みても美しくて胸が苦しくなった。 「成松、お前も一緒に来いよ。この街にいたらお前も飲み込まれて死んでしまう」  この街は逃げてきた人間ばかりで構成されていた。会社から、家庭から、人生から逃げてきた男女が、安い家賃や大した漁獲量があげられない漁業に従事して息をひそめて暮らす。山のふもとにある温泉街はかつて栄えていたが、今は性風俗の店が軒を連ねており、社員の団体客目当てのスナックと共存している。女はそれらの店で働いて生計をたてていたが、それすらも、バブルがはじけてからは減少の一途をたどっていた。 「そうだな~。なにせ同級生のうち生活保護受給の家庭が5割超えてんだもんな。言葉どおり、そのうち街が財政難で死にそうだ」  おどけた声を出すと、久世が鼻を鳴らした。  だからといって、都会に出て何ができるんだろう。  母親がスナックで働きながら高校までは行かせてくれたが、大学に行きたいというと難色を示された。自分で金を借りていけということだろう。生活費もすべて借りたとしたら、何者になれるかもわからないのに(そしておそらく何者にもなれない可能性のほうが高いのに)何百万も借金を背負うことになる。  久世は背負っていたバックパックの中から何かの本を取り出し、おれの方へと投げた。慌てて拾ったそれは文芸雑誌の中でも有名なもので、作家がデビューするときの登竜門だと言われている有名な文学賞が表紙を飾っていた。 「お前の小説、新人賞だってよ」  おれは口を開けたまま久世を見た。久世は相変わらず落ち着いた顔を海に向けていたが、振り返った瞬間に笑顔がはじけた。 「賞金500万だぞ。大学でもどこでも行けるし、おれと同じ町にだって出られる」  うまく呼吸ができない。なんどか深呼吸を繰り返してから、久世の胸倉をつかんだ。 「何勝手に送ってんだよ!お前、何勝手なことしてんの?」  声が裏返った。人間、あまりにおどろくとまともな声すら出なくなるのだとこの時学んだ。 「だって机の上に置いてあったから」 「送るつもりなんかなかったんだよ、おれは趣味で書いてただけなんだから、てかお前読んだのか?読んでないよな!小説なんか読まないもんな、久世は!」  ものすごく焦ったのは、その小説の内容が久世への生々しい欲望と恋心を描いたものだったからだ。ついでに願望のままに久世を犯す描写もあった。名前こそ変えていたが、読んだらモデルが誰なのかすぐにわかってしまうだろう。 「読んでない。勝手に読んじゃ悪いだろ」  ぶっきらぼうな声に泣きたくなった。お前のOKゾーンが全く分からない。 「勝手に送るのは悪くないのかよ、お前マジか、……マジかーー」  その場にしゃがみこんでしまったおれを、久世がのぞき込んでくる。心配そう……では全くなかった。いたずらが成功して面白くて仕方がない、といった顔だ。 「捨てよう、成松」  腕の中に埋めていた顔を上げる。まっすぐな眉の下で、あの切れ長の青い目がおれを見据えていた。 「こんな町捨てよう。親もだ。悪いもんは全部捨てちまおう」
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