納児

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納児

「子どもを作ろう」  そう言い出したのは一樹だった。  結婚して早五年、私達の間には特に大きな喧嘩もなく、経済的にも人並みの生活を続けられていたから、遅かれ早かれそんな話になるような予感はしていた。しかし―― 「反対?」 「ううん。そんな事ないよ。でも……」  子どもを作るのはリスクだ。自分たちの収入や時間を犠牲に捧げた上で、一人の人間の命と将来を預からなければならない。しかもそれによって得られるリターンは期待外れに終わる可能性も高いときてる。  子どもを作るとなれば、せっかくそれなりに順風満帆な仕事への影響だって避けられないだろう。  それは法改正によって代理出産が認められた今となっても変わらない。 「リスクは承知の上だよ。でも僕達なら、きっと上手くやれる気がするんだ。里奈は生まれてこなければ良かったと思ってるわけじゃないだろう? ご両親にだって感謝してるだろう?」 「それはもちろん。生んでもらったからこそ、今こうしているわけだし」 「きっと僕達なら、最低限自分たちが感じているのと同じぐらいの幸福度は担保してあげられると思うんだ。僕達と同じぐらいには、生まれてきて良かったと思えるように」  そうなのかもしれない。けど、それはあくまで今の生活の延長線上で子育てを想像した場合だ。  子どもがやって来れば私達の生活だって変わるだろう。収入や働く時間、自由な時間が変化すれば、今と同じ穏やかな日々が続けられるという保障はない。私はそれが怖かった。 「でも昔と違って今はほとんど負担もないっていうだろう? とりあえず病院に行って説明だけでも聞いてみない? ちゃんと理解もせずに怖がっていたって仕方ないじゃないか」  一樹の言い分は正しい。理解する努力を放棄して怖がるのは得策とは言えない。  それでも私は、そこに言外の意味を勘繰らずにはいられない。というのも、一樹の父が初期の胃がんを患ったのは昨年の事だった。簡単な内視鏡手術で済んだものの、以来妙に互いの両親の老いが気になるようになったのは間違いない。  腫瘍は切除してなくなったといえ、一度癌にかかれば常に再発の危険に怯えながらの生活を余儀なくされる。再発すれば、死へ一歩近づく。  義父の発病に、いつまでも元気でいると思い込んでいた親が、いつどうなってもおかしくない年齢に差し掛かりつつあるという事実を突き付けられた気分だった。もしかしたら一樹はそれを気にして、子どもを作りたいなどと言い出したのではないか。  互いの両親ともに、孫の顔が見たいなどと古臭い事は言わない。私達二人が人様に迷惑を掛けず、仲良く暮らしているならばそれでいいというごくごく一般的な認識を持つ人たちだ。  だからもしかしたらただの自己満足と揶揄されるかもしれないけれど、死がこれまでよりも身近に迫っていると思うと、新たな生でもってそれに報いてやりたいような気もしてくるのだ。  私達が未来に新たな生を紡ぐ事が、両親が生きてきた証を未来へ繫ぐ事になるのではないか、それが一番の親孝行になるのではないか、という想い。仮に多少のリスクを負ったとしても、私達を育てる為に両親が背負ってきたリスクに比べれば、決して重すぎるとはいえないのではないか。  とりわけ法改正によって代理出産が合法化されて以降は、子どもを作る事に対するハードルは著しく低くなったと言われている。まずは正しく理解する努力をしようという結論で、その日の話し合いは終わった。
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