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数日後、揃って有給休暇を取得した私達は、産婦人科を受診した。地元では定評のある楠マタニティークリニックという病院だった。
「なにも恐れる事はありせんよ。昔に比べれば子どもを作るリスクは飛躍的に低下してますからね。むしろ若い皆さんは積極的にどんどん子どもを作られた方が良いと私は考えています」
院長の楠医師は、開口一番笑顔で言った。明るくて、見るからに安心そうな人柄がにじみ出ていた。
「ご自身での妊娠出産を希望されるとなれば話は別ですが、まさかそういうわけでもありませんよね?」
「もちろんです。代理出産でお願いします」
自分で妊娠出産なんてとんでもない。そんなはずはないのだろうと思うのだが、実際には現在でも妊娠出産を臨む人々は存在するのだという。宗教上の理由や古い慣習を重んじる家庭の事情がほとんどらしいが、はっきり言って正気の沙汰とは思えなかった。
かといって私達も代理出産について詳しく理解しているわけではないから、こうして産婦人科へやってきたのだけど。
代理母を通した出産の流れは至って簡単で、まずは国が運営する代理出産支援センターに申請をし、登録者の中から相応しい代理母を選任してもらう。
代理母が決まれば病院で精子と卵子を採取。具体的に私達が直接関わるのはこの時だけだ。受精卵は胚と呼ばれる状態まで培養された後、相手先の病院に送られ、代理母の体内に移植される。
一週間から十日の間に行われる代理母のホルモン採血により妊娠判定を行い、結果は即座に精子と卵子の提供者である両親に知らされる。失敗だとしても特にペナルティを負う必要はなく、希望に応じて再度機会が与えられる。
妊娠確定後は、基本的には二週間おきに産婦人科を受診し、リモート通信を通して胎児の状態を確認する。そうして出産日を迎え、誕生した胎児は一週間から十日を代理母とともに生まれた病院で過ごした後、受け入れ先である病院に運ばれ、両親への引き渡し――いわゆる納児となる。納児後は赤ちゃんと一緒に病院に一泊し、授乳やおむつ交換、沐浴など基本的なお世話の方法を練習する事になる。それが済んで初めて、本格的に親子三人での生活が始まる。
つまり精子と卵子の摂取後納児されるまでは、二週間に一度の通院以外、私達はなんらこれまでと変わる事のない生活を続けていられるのである。
「あるとすれば、代理母側で何かトラブルがあった時だけですね。特に妊娠初期は流産の危険性が高く、臨月に入れば予定より早く分娩が行われる可能性もあります。そういった緊急時のみ、連絡をさせていただく場合があります」
「イレギュラーな事態がない限り、本当に何もしなくていいんですね」
「皆さんお仕事をされてますから二週間に一度の通院でも大変な負担になるかと思いますけれど。年次の有給休暇を全て使い果たしてしまうような結果になってしまいますから。しかしどうしても都合がつかない場合にはお仕事後に夕方から受診できるように調整もしますので、ご相談下さい。毎回では困りますけどね」
確かに二週間に一度、こうして夫婦揃って通院するというのはかなりの重荷だ。事前に申請すれば休みの都合はつけられるが、二週間に一度となれば同僚達もあまり良い気はしないだろう。取引先の都合を考えれば、うまくスケジュールが嵌まらない日も出てくるかもしれない。会社には事前に説明して、多少なりとも配慮をお願いする必要が出てくる。考えただけで気が重い。
何よりも果たしてそこに意味はあるのか、という疑問もむくむくと頭をもたげ始める。
「仕事でどうしても残業しなくてはいけない時もあったりするんですが、二人揃ってでなくては駄目でしょうか。一人が代表して、というのは」
私が聞くと、楠医師は初めて眉を曇らせた。
「できる限りご夫婦での受診をお願いしています。女性の方ご自身が妊娠して子どもを生まれていた昔に比べ、代理母出産となるとどうしても子供に対する意識が不足しがちになってしまいますので。当事者意識を持っていただくためにも、基本的にはお二人揃って、受診していただいた方がよろしいかと」
当事者意識、という言葉が他の誰かに向けられたかのように、するりと私の胸をすり抜けた。納児されるまで、お腹の中の赤ちゃんを大事に育てるのは代理母の職分のはずだ。私達がやきもきしたからといって、他人のお腹の中にいる赤ちゃんをどうこうできるわけでもないのに。
無事育っているという確認だけであれば、電話どころかメッセージの一つも送ってもらえれば十分だろうし、わざわざ病院に足を運ぶ必要性が感じられない。それこそ、昔のように自分が妊娠していた時代なら必要だったのだろうが。二週間に一度という頻度は、単に当時の慣習を引きずっているだけのようにも思える。
「始めの内はそうおっしゃる方もいます。でも、実際子どもが育っていく過程を見ていく内に、少しずつ変わってくると思いますよ」
「まぁそこは臨機応変にやっていこうよ。実際にどうしても調整が難しそうな場合には、先生に相談する事にして」
「そうですね。もちろん必ず全てお二人に来てもらわなければいけないと強制するつもりはありません。どうしても都合がつかなければ、お一人だけになる事もあるでしょう。相手先に相談して、日時を変更してもらう事もあるかもしれませんし」
私のもやもやを察知してか、一樹が口を挟んだ。反論が喉元まで出かかったけど、ごくんと飲み込む。ここで言い合いをしたって仕方ない。
「費用はどのくらいかかるんでしょう」
「そうですね。厳密に医療費総額で言えば高級車が一台買えるぐらいの金額はかかってしまうんですけれども、個人が月々支払う医療費の限度額は決められていますし、国や自治体の出産補助も併用できますから、実際には自己負担額は限りなくゼロに近い金額になってくると思いますよ。必要なのはこうして病院に通っていただくための通院費用ぐらいでしょうか」
子供を作るのに費用はほとんどかからないと耳にしたことはあったが、こうして医師の口を通して聞かされるとやっぱり本当だったんだと妙に納得感があった。
「あとはどこの自治体も少子化対策として出産奨励祝い金を用意しているはずですから、当市であれば出生登録から一月後には百万円が支給されるはずですよ」
そちらは全く寝耳に水の話だっただけに嬉しい誤算だった。決して悪い金額ではない。もちろん一人の子どもを大人になるまで育てるとすれば、百万円なんかでは到底済まないのだろうけど。
「特別準備するものもないんですね」
「ただもちろん赤ちゃんに必要な道具や衣類などは一通り揃えておいていただく必要がありますよ」
「それだけでいいんでしょうか?」
「というと?」
不安げな一樹に、楠医師も首を傾げた。
「いえ、仮に代理母での出産をお願いしたとして、それから十か月後に突然赤ん坊を渡されて、僕達はそんなにも急に親になる事ができるのか、不安で」
一樹の言葉に、私は耳を疑わざるを得なかった。やる事が少ないから不安という事なのだろうか? 意味がわからない。私達にとって負担は少ない方が不安も小さくなるに決まってるのに。
「なるほど、そういうことですか。希望があれば納児前の事前講習として子育てセミナーに参加したりもできますよ。人形を使って抱っこの仕方やあやし方、げっぷの出させ方などを学んだりします」
「それはやっておいた方がいいね」
「そうね」
赤ちゃんの扱い方以外にも、新米ママパパが困りがちなポイントなどを教えてもらえたりするらしい。熱心に耳を傾ける一樹の隣で、まぁ一樹がこうして育児を頑張るつもりならいいか、とぼんやり思った。きっと納児後も一生懸命赤ちゃんのお世話に精を出してくれるつもりなのだろう。
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