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子どもが出来た、という報告は瞬く間に職場に知れ渡った。
「妊活してたの?」
「すごいね、尊敬する」
同僚達は目を輝かせて私を褒め称えてくれた。僅かに十名強しかいないこの事業所では、結婚している人ですら半数にも満たない。
今いる職員の中で結婚し、子どもを作るのは私が第一号になる。それだけにみんな、私に新大陸への航海に臨むコロンブスを見るような目を向けた。表向きにはチャレンジャーの勇敢さを称えつつ、微かに見え隠れする無謀さへの揶揄と嘲笑。
「これが、赤ちゃんなの」
乾医師から貰ったエコー写真に、同僚達は感心の声をあげた。
「今、何か月ぐらい?」
「二ヶ月だって」
「いつ生まれるの?」
「九月の下旬」
「あら、柴田さん、子ども作ったの?」
わいわい盛り上がっていると、良子さんがやってきた。先日勤続三十五年で社長から表彰を受けたベテランさんだ。
「そうなんです。前に病院で手続きして」
「そうだったの。結婚して長いからそろそろかと思ってたけど。今は自分で産まないから、言われないとわからないものね。おめでとう」
そういう良子さんは、私達よりもずっと年上の二人のお子さんがいる。もう三十年も前の話だから、良子さんは自分でお腹を痛めて子どもを産んだ最後の方の世代だ。
制服のスカートの下っ腹がぽっこりと膨らんでいるのは、出産を経験した女性にだけ見られる特徴だ。一度膨らんだ皮膚と子宮は、完全に元通りにはならないのだという。出産回数を重ねれば重ねる程、元の姿からはかけ離れていってしまう。
妊娠による身体の変化はそれだけには止まらず、昔受けた保健体育の授業によると、授乳のために乳腺が張る事で一時的に乳房が痛いほどに腫れるのだという。乳首も肥大化し、黒ずむらしい。赤ちゃんが大きくなり、授乳の機会がなくなるのに合わせて乳房の張りはなくなるが、元の張りすらも失われて垂れさがったおばあちゃんみたいなおっぱいに変わる。赤ちゃんに吸われる事で乳首は伸び、萎び過ぎた梅干しみたいになる。
全て、女性が自分の体で子どもを産む事によって生まれる弊害だ。
私にはそれが、まるで顔に入れ墨された江戸時代の犯罪者みたいに思えてしまう。もし自分の体が同じようになったとしたら、一生女としての性は取り戻せないだろう。当時の女性たちは子どもを産んで母性を手に入れる代わりに、女性ではなくなる事を受け入れなければならなかったのだ。
「私達の頃は大変だったんだから。苦しい思いして妊娠して、会社は休まなくちゃならないし。仕事を辞める人も多かったのよ。今は幸せね。普通に仕事も続けられるし」
そういう時代があったという話はなんとなく聞いている。法改正によって代理母の制度が認められ、社会に浸透するまでは母親自身が胎内に子を宿し、出産しなければ子どもをもうけることができなかった時代。
そのため仕事上でも女性は軽んじられ、出産のためにと休職すればその分キャリアは閉ざされた。
結婚するか、しないか。
産むか、働くか。
二十代から三十代という働き盛りの時期に、人生を大きく左右する選択をせざるを得なかった悲しい時代。
もちろん良子さんのように、二人も子どもを産んだにも関わらず会社でも重用され続けた人もいたのだけど。そのような例はごく稀と言えるのだろう。
「良子さんもやってみたらどうですか、代理母。出産経験あるんだし、今の仕事より稼げるかもしれないじゃないですか」
「冗談。今更妊娠なんて体力がもたないわ。事故起こしちゃうわよ」
良子さんはあっけらかんと笑うけれど、経験のないわたしたちには妊娠に体力を要するという意味がいまいちピンと来ない。数キログラムに及ぶ胎児をお腹に抱え、疲れやすくなったり、味覚や嗅覚にも影響が出たりするというけれど、周囲で妊婦を目にする事がなくなった現在ではぼんやりと想像する事しかできなかった。
しかしながら世の中では、代理母への志願者が後を絶たないという。一度代理母に選任されれば、約一年近くの期間はお腹の中の赤ちゃんを無事に産む事だけを最優先に生活しなければならない。それによって得られる対価は公にはされていないけれど、一般的な国家公務員と同等かそれ以上の月収が望めると言われている。
さらに生まれてくる子どもは精子と卵子からなる遺伝子情報のみによって左右され、代理母の個体差からは科学的に証明できるほどの影響を受けないという研究成果が発表されてからは、とにかく健康で安全に出産できる母体が好まれた。そのため、肉体的に健康な低学歴・低所得者にとっては手っ取り早く稼げる手段になりつつあるのだ。
代理母の氏名や年齢、住所、さらには担当する病院まで、全ての情報は一切が秘密とされる。親である私達が希望したとしても、絶対に知ることはできない。万が一失敗や事故があった場合においても、故意でもない限り彼女達が責任を問われることはない。
代理母の法制度は働く女性たちの雇用とキャリアを維持しつつ、少子高齢化を打開する政府肝いりの政策だ。代理母の担い手育成と地位向上には、国をあげて取り組んでいると言っても過言ではない。
私達もその恩恵に預かり、こうして働きながら安全に子どもを授かろうとしているのだけど。
「でも、正直怖いわよねぇ」
「怖い? 何がですか?」
無意識に零れただけだったのか、私が聞き返すと良子さんは驚いたように目を見開いた。
「いえ……柴田さんには悪いけど、私達の頃は自分のお腹から生まれてきて当たり前だったじゃない? 生まれてきて顔を見て初めて良かったぁ、この子が私のお腹から出てきた赤ちゃんなんだって、実感が湧いたの。でも男の人なんかは自分で産むわけじゃないじゃない? だから本当に自分の子どもなのかって疑い続ける人もいっぱいいて。当時は子どもが大きくなってからDNA検査をする人もいたのよ。実際に血のつながっていない事がわかった親子も何組もいて。だから他の人のお腹から生まれてくる子どもって、私達からするとちょっと不思議な感じなの。なんだか自分の子どもじゃないみたいで」
「何言ってるんですか。今は生まれてすぐに間違いなく自分の子どもかどうか調べて、証明書までついて来るんだから、昔より間違いないじゃないですか」
同僚の一人が言うと、「それもそうよね」と良子さんは笑った。
結婚した妻のお腹から出てきても、自分の子どもだとは信じられなかった時代。
他人のお腹から出てくるにも関わらず、最初から自分達の子どもだと証明される時代。
私も同僚と同じように、後者の方が圧倒的にシステムとして優れているように思える。
良子さんは一体何が不思議だと思ったのだろう。
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