納児

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「代理母の陣痛が始まりました。明日の午前中には生まれるかもしれません」  楠医師からの連絡を受けて、私達は急遽休みを取って楠マタニティークリニックへと向かった。  病院に着いた頃には、代理母は先方の病院ですでに分娩室に入った後だという。かといって、私達にできることはない。生まれたらすぐ呼ぶという楠医師の指示に従い、待合室でぼんやりと待ち続けた。  出産は個人差もあるので、長ければ半日以上かかるかもしれない。そう覚悟していたにも関わらず、お昼前に看護婦さんが迎えに来た。あまりにも早いから、出産中に問題でも起きたのかとはらはらしながら診察室に入った私達は、いつものモニターに映し出された赤黒い映像に目を奪われた。パソコンのスピーカーから洩れる、ほぎゃあほぎゃあというなんとも頼りない泣き声。 「先ほど生まれたそうです。三千二百グラム。元気な男の子ですよ」  赤ちゃんが、生まれた。  目の前のモニターに映る真っ赤でしわくちゃなサルみたいな赤ちゃんが、私達の赤ちゃんだという。 「里奈」  一樹に手を握られる。彼の顔に私の胸の中にあるのと同じ戸惑いのような色を見つけて、私も握り返す。  私達は、親になったのだ。それなのにどうしてか、画面の赤ちゃんに対して全く心が揺さぶられなかった。まるで他人の赤ちゃんの映像を見せられているようだ。  狭い暗闇から飛び出し、急に広がった世界に戸惑っているのだろうか。赤ちゃんはぎゅっと目を瞑ったまま、逆さになったカブトムシのように手足で宙を掻いていた。  「一重かな?」 「うっすら二重っぽい線が見える」 「君に似てるかも」 「口の感じはあなたじゃない?」  赤ちゃんの顔を見ながら、どこかに私達と共通するものを探そうと言い合っていると、画面の向こうに看護婦さんが現れて、映像がぐるぐると動いた。どうしたのかと見守っていると、次に映し出されたのはおっぱいにむしゃぶりつく赤ちゃんの様子だった。もうミルクが飲めるのだろうか? 先ほどまでは泣きじゃくっていたのに、すっかり落ち着いた様子で必死に口を動かしている。  私達の赤ちゃんは元気なようだ。  一方で私の目は、赤ちゃんが顔をおしつけるその乳房に釘付けになる。  安心しきった表情を浮かべて、身をゆだねる赤ちゃんの姿に嫉妬のような感情を覚えた。この乳房の主が、私達の赤ちゃんを産んだ代理母なのだろう。一体どんな人物なのだろうか。画面の中から手がかりを探ろうと目を凝らすものの、これといって目立った特徴を捉えることはできなかった。  私の探るような視線から逃げるように、カメラが再び宙を回り、今度は何を映し出す事もなく映像はふっと途切れた。  リモート中継は終わったようだ。 「おめでとうございます。あとはもう納児まで時間がありませんから、お父さんお母さんも気を引き締めて備えなければいけませんよ」  楠医師にありがとうございます、と二人揃って頭を下げる。  あの赤ちゃんが私達の子どもなのか。数日後には今見た私達の赤ちゃんがやってくるというのに、正直言うと実感は伴わなかった。
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