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凛久は俺のシャツを握りしめ、半開きの唇から赤い舌を覗かせて、夢を見ているような顔をしていた。無防備なその表情にたまらなくなって、俺は凛久を掻き抱いた。
「凛久……俺がお前を認めるから、傷つけたぶん全部受け止めるから。もう、あんな所に行くなよ、な?」
彼の手が、ぎゅっと俺の背に回る。
凛久、凛久ごめんな、そう心の中で唱えながら、俺は、抱きしめたままの彼ごとあやすように揺れた。やっと欲しい者が手に入った。やっとこの手にできた。言いようの無い幸福感で体が熱くなる。今まで弁当屋で凛久に会うたびに感じていたもやもやは、彼を手にできない欲求不満だったんだと、すとんと理解した。
しかし凛久は、そっと手をつっぱり、俺と距離を作って言った。
「……できないよ」
「え?」
「僕もう、とんでもないビッチになっちゃったもん。知らない人なら平気。でも、イチスケさんとだけはできない」
「……なんで? 俺が受け止めるからって……」
そう聞く俺の顔はきっと、とんでもなく間抜け面だったにちがいない。次の瞬間浮かんだ考えに、すっと血の気が引いていく。
凛久はもう俺のことなんて、好きでもなんでもないんじゃないか? 好きだと言われたのはもう随分昔のことだし、俺も相応におっさんになった。最近のアイドルの名前も覚えられないし「疲れた」が口癖になりつつある。凛久にとって今の俺は、なんの魅力もない、ただの弁当屋の客以外の何者でもなかったとしたら……。
終わった……。
顔を紙より白くしてだらだらと冷や汗をかいている俺をよそに、凛久はうつむいて苦しそうに言った。
「そういう優しさだけなら僕はもう満足できない、って言ってるの」
「へ?」
もう乾いた涙がまたその大きな瞳を覆い始める。
「僕、見られてすると感じる……大勢にされるのも興奮する。引くでしょ? そういう変態なんだよ。もうイチスケさんみたいな普通の、まともな人の感覚なんてわからない……嫌われたくない」
ぽろりと赤く腫れた目元から涙が一つこぼれた。
こんなに、自虐的に自分を語るなんて。追い詰められていたなんて――。
凛久を見ていると胸が苦しい。俺はその澄んだ大きな瞳から流れ出た透明な涙を、そっと拭った。
「試してみればいいじゃないか」
言いながら、いぶかしげに見上げてくる凛久の腕を、問答無用でつかんで歩き出す。
「俺とはまだしてないだろ? 満足できるかどうかしてみればいい」
「えっ!」
引きずられるように、つまずきながらついてくる凛久を振り返って、俺は言った。
「満足させる自信はあるけどな」
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