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たぶん嫌われている、俺
それからしばらく、凛久の姿を見かけることはなかった。
弟は同じ付属の大学まで進んでいて、話の中に何度が登場することがあったから、つき合いが続いているのは知っていた。
凛久の話題が出るたびに、俺はあの時のことを思い出す。そしていつでも、後悔でのたうちまわりたくなった。
今ならわかる。俺は彼に取り返しのつかないひどいことをした。
最初からあんなに真剣な顔をしていた彼が本気でなかったはずがない。それなのに、気持ちを受け止めもせず、ただの思いこみで捻じ曲げた。純粋な気持ちを傷つけた。
同性を好きになる気持ちは俺が一番良くわかってあげられるはずだ。ましてや告白するなんて、どれだけの勇気を振りしぼったことだろうか。ぐいぐいと俺のシャツを掴んですがりついてきた彼の、必死な様子が甦る――。
思春期の柔らかくて傷つきやすい心に、致命的な傷を負わせてしまったかもしれない。ちゃんと話を聞いて、これからの彼が迷わないように相談に乗ってあげることだってできたはずなのに。
――なのに……なんて小さい男なんだ俺は!
後悔の発作に時々襲われながらも時間は過ぎていく。日に日に凛久のことも他の諸々の悩みに押され、とって代わられて、学生時代はあっという間に過ぎ去った。
そして社会人になったころ、凛久が弁当屋の店番に立つようになった。
夕方、いつものように弁当を買おうと列に並んだ俺は、自分の番になり注文しようとした声が、喉に張りついて出て来なくなった。
「…………」
「おきゃくさ……」
突っ立ったままの客をさばこうと、俺を見た彼の目も大きく見開かれた。
そのまま凍りついたように俺たちは見つめあった。
しかし凛久はそれきり目をそらすと、何でもない客のように俺に接する。
「今日の日替わりは、生姜焼きとオムレツのダブルです」
「じゃあ、それを……」
千円札を一枚出し、おつりと商品を受け取る時思い切って声をかけようと思った。
「あの」
だが、かたくなにこちらを見ようとしない凛久に、怖気づいた。
「ありがとう」
小さくそれだけ言うと、俺はそそくさと家に逃げ帰った。
どさりとダイニングテーブルに弁当を置くと、はぁ、とため息をつきながら座った椅子の背にもたれる。ゲームをしていた雄太が目ざとく俺の様子を見て言った。
「兄ちゃん、どうした? 社会人ってそんなに大変なの? げー嫌だな、俺そんな疲れたリーマンになりたくないわ」
じろりと生意気な弟を睨んでからぼそりと言う。
「……なあ、おまえ弁当屋で凛久くん働いてるの知ってた?」
「凛久? ああ実家ね。そうだよいつも手伝ってるじゃん。つっても見かけるのは母ちゃんとか他のおばちゃんばっかだな」
「……そっか」
「大学出たら弁当屋継ぐって言ってたよ。あ、俺も腹減ったからなんか買ってこよーっと」
ゲームを止めて出て行った弟の足音を聞きながら、俺は机に突っ伏した。
目を閉じると、固い表情で視線をそらせた彼の横顔が浮かぶ。
――嫌われてるよな。あんなにこっぴどく傷つけたんだから。
あの後の彼はどうしていたんだろうか? 俺のように荒れて、悩んだりしなかっただろうか? 気になってたまらなくって胸がじくじくと痛みだす。また後悔の発作がやってきた。
「あーーっ!」
俺は打ち払うように頭をかき回す。なんで通っていたのに、今まで凛久に気がつかなかったんだろう? 言われてみれば奥の厨房に時々若い男がいる気はしていた。もっと早く話せていれば、こんなに気まずい思いはしなかったのに。
多分今日会えたのは、偶然だったのだろう。しかしあの弁当屋に行く限りまた遭遇する可能性は高い。
「……また、会うのかな」
正直また無視されるのはつらい。
でも――次に会った時には、絶対、謝ろう!
そう決意すると俺は腕まくりをして、猛然と弁当のふたを開けた。
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