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11(おととななな作)
その日、珍しく仕事が休みだと紅鳶に告げられてアオキはそわそわとしていた。
突然押しかけてきたアザミや梓、そして初対面のちふゆから聞かされた愛する男の疑惑についてアオキはまだ一切触れていない。
もちろん紅鳶自身もそれについて話したりはしてこない。
もしかしたら紅鳶が男娼にキスをしていたというのは、ちふゆたちの見間違いだったかもしれない…
アオキはなるべくそう思うように努めていた。
しかし、言うは易く行うは難しというように、そう思うようにしていても視線は知らず紅鳶の口元へと引き寄せられてしまう。
本当に他の男娼とキスをしたのだろうか。
あの唇で。
漆黒と青藍…アオキは二人とは何度か挨拶を交わしただけで彼らの事は殆ど知らない。
二人がどんな風に紅鳶に接しているのか、どんな会話をしているのかも。
しかし、ゆうずい邸の男娼との方がアオキとの付き合いよりも長いのは確かで。
アオキの知らないところでは紅鳶がどんな風に男たちに接したり指導したりしているのかわからない。
でもしずい邸同様、ゆうずい邸の男娼同士の恋愛も御法度なはず。
次期楼主候補である紅鳶がそのルールを簡単に破るようにも思えない。
それじゃあどうしてキスなんか…?
時間が経てば経つほど、考えれば考えるほど疑念が膨らんでいくようだった。
紅鳶は休日にもかかわらず、テーブルに書類を広げると一心不乱に目を通している。
時折ぶつぶつと何かを呟くその唇の動きを見ていると、紅鳶がどんな気持ちで他の男娼と唇を重ねたのだろうかと気になって仕方がない。
「どうした?」
突然声を掛けられてアオキはハッとすると、慌てて視線を唇から引き剥がした。
さっきまで書類に向いていた眼差しがアオキに向けられている。
「な、なんでもありません」
「湯呑みを持ったまま立ちっぱなしなのがか?」
アオキはハッとして自分の手元を見た。
紅鳶に出すために湯呑みの乗ったトレーを持っていたままなのに気づく。
熱々を淹れたはずなのだが、お茶はすっかり冷めてしまっていた。
「す、すみません。すぐ淹れなおします」
アオキが慌ててキッチンに戻ろうとすると、紅鳶が引き留めた。
「いや、それでいい」
紅鳶は書類を置くと、アオキに向かって手招きをする。
アオキはおずおずと近づくと紅鳶の目の前に座った。
向かい合う形で座ったアオキの視線は、やはり紅鳶の形の良い唇へと吸い込まれていく。
「何か気になる事があるんだろ。最近ずっとそんな目で俺を見ている」
紅鳶に図星を突かれ、アオキは思わずびくりとしてしまった。
恐る恐る見上げると、紅鳶の何かを見透かしたような眼差しがこちらに注がれていた。
そうだ、誤魔化せるはずがない。
紅鳶はゆうずい邸で一番手を張り続けていた男だ。
客の些細な変化や仕草を読み取る事なんて容易い事。
アオキは膝の上に置いていた手をギュッと握りしめる。
そして、覚悟を決めると口を開いた。
「あの…」
「うん?」
「紅鳶様は…漆黒様と青藍様とその…キスをされたというのは本当でしょうか!?」
「…っぶっ…っ!!?!」
湯呑みに口をつけていた紅鳶が吹き出し、ゲホゲホと咽せた。
しかし感情が高ぶったままのアオキは構わず続ける。
「俺、あの二人みたいに男らしくないし筋肉もつきにくいタイプだし色も白いし、男らしくなくて紅鳶様の好みとはほど遠いかもしれません。でも俺…俺これから頑張って鍛えます!!だから…だから…嫌いにならないで…」
アオキは両手で顔を覆うとわっと泣き出した。
これまでずっと悶々として抱えていた思いが涙となって次から次へと溢れ出てくる。
「ちょ、ちょっと待て、アオキ。その…俺が何をしたって?」
「青藍様と漆黒様とキスです」
「一体誰がそんな事を…」
アオキは鼻をすすりながら、数日前ちふゆたちから聞かされた事を紅鳶に話した。
話を聞き終えた紅鳶は珍しく頭を抱えると項垂れた。
「実はあの日青藍と漆黒と誰が酒が強いかの話になって…つい意地を張って飲みすぎてしまったんだ。途中から記憶が曖昧だったんだがまさか俺があいつらにそんなことをするなんて…」
紅鳶は頭をガシガシと掻くと溜め息を吐く。
その青ざめた表情や落胆した様子から、それが演技なんかではなく真実であることがよくわかった。
「信じてくれ、アオキ。アレは完全に事故だ。いや…でも飲みすぎて記憶がなかったとはいえ、お前を不安にさせてしまったことには変わりはないよな…悪かった」
意外にも紅鳶があっさりとキスをした事を認め(事故だと主張しつつ)謝罪してきたことで、アオキの不安はたちまち拭われた。
あんなに悩んでいたのがウソのようだ。
こんなことならもっと早く聞いておけばよかったと後悔すらしてしまう。
紅鳶はいつだって誠実で、完璧なほど男らしい。
それは出会った時からずっと変わらない。
そんな男が浮気なんかするはずがないのだ。
アオキはゴシゴシと手の甲で涙を拭くと、ぺこりと頭を下げた。
「俺も…ずっと言い出せなくて…変な態度をとってしまってごめんなさい」
アオキの言葉に紅鳶はようやくほっとしたように、笑みを浮かべた。
「それで、なんでその…鍛えるとかの話になったんだ?」
「あ…えっと、漆黒様と青藍様にあって俺にない魅力って何だろうなって考えた時に、男らしい筋肉かなと思って…」
アオキがしどろもどろになりながら答えると、紅鳶がまた軽く吹き出した。
今度は柔らかな表情で。
「笑わないでください!お、俺はすっごく真剣なんですっ」
ムキになって前のめりで訴えると、紅鳶の大きな手がアオキの頬に触れる。
そのまま宥めるようにさすられてしまい、アオキはたちまち大人しくなった。
「お前は今でもじゅうぶん魅力的だ」
男臭い笑みを浮かべた紅鳶の言葉にアオキの願望はあっさりと断ち切られてしまう。
しかしアオキは引き下がらなかった。
「うっ…でも実はずっと前からコンプレックスで…できることならもう少し筋肉をつけたいんです。怪士さんに教えてもらった筋トレもやってはいるんですけど、なかなか成果が表れなくて…」
アオキは自分ののっぺりとした腹を摩った。
紅鳶のようにまでとはいかなくとも、引き締まって筋の浮かび上がった格好いい肉体には随分前から憧れているのだ。
「怪士か…」
アオキの腹をじっと見て呟いた紅鳶だったが、突然何かを閃いたように口を開いた。
「…アオキは四十八手は知ってるだろ?」
紅鳶の言葉にアオキは首を傾げると頷いた。
「は、はい…淫花廓での最初の研修で学びました」
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