かよひじは

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かよひじは

「カフェで箏ライブ?」 「盆栽村の『カフェ盆』ってとこで。俺の親方の長女が経営してるカフェで、来月、俺の送別会やるんだけど、特別ゲストってことでさ」  いきなり降って湧いた話に、春海は面食らった。 「カフェ盆では志保子もライブやったことあるし、箏の先生だっていうなら、できるんだろ?」  自分がどれだけ弾けるのか、ハンスに試されているように感じるのは、気のせいではないだろう。ハンスからの密かな敵愾心を感じつつ、春海は余裕を持って答えた。 「もちろん、できますよ」 「ギャラは、雀の涙くらいは出るかもしれない」 「ギャラはともかく、もう少し詳しい話を聞きたいんですが」  会場、客層、人数など、詳細がわからないことには、安請け合いするわけにいかない。 「じゃあ、どんなとこか、今から一緒に行ってみる?」  あれよあれよという間に話が進み、春海と吉岡とハンスの三人は、車で盆栽村に向かうことになった。  春海は盆栽村に行くのは初めてだったが、思っていた以上に整備されており、街中にある古民家を改修・改築したカフェ盆は、外装と同じく、内装も昔の風情があった。あえて照明も落とし気味にしているので、落ち着いた雰囲気が醸し出されている。  ランチタイムの忙しさが一段落した頃合だった。三人は、ここで昼食を取りつつ、話を聞くことにした。  店長の川瀬水希は、サバサバした感じの女性だった。ハンスが送別会の話をすると、二つ返事でライブ開催が決定した。  送別会は、カフェ盆を貸し切りにして、会費制の立食パーティーで行うが、日本人だけでなく、国際色豊かなハンスの友人達も参加するので、箏は喜ばれるだろうとのことだった。  時間は三十分。曲や編成は自由。   話は順調に進み、打ち合わせを終えると、ハンスは深翠園に戻っていき、春海と吉岡は、せっかく来たのだからと、盆栽美術館に寄って、見学していくことになった。  施設は新しく、小ぢんまりとしているが、随所に工夫を凝らしている。館内では、日本人だけではなく、海外からの旅行者を何人も見かけた。  屋外に出た。誰もいない。ここは撮影可のエリアだ。  少し先にいた吉岡が歩みをとめ、春海を手招いた。見てごらん、というように、松の盆栽の銘を指し示す。そこには「春の海」と書かれていた。  春海は、流線のやわらかな枝振りを眺めながら、思い切って口を開いた。 「彼は、恋人だったんですか?」  あえて名前は出さなかったが、すぐに通じた。 「いや、友人だ」 「でも、付き合っていましたよね?」  僅かな間を置いて、吉岡は言葉を選ぶようにして答えた。 「友人以上だったかもしれないが、恋人でもセフレでもない。君が思っているような関係ではないよ」  思った通りだった。  予想はしていたが、吉岡の口からじかに聞くと、やはりショックだった。  吉岡と一夜を共にした早々、元カレ?の出現である。 「現在は、言葉通りの友人だ」  吉岡の言葉を聞いても釈然としない。もやもやとした気持ちは胸にわだかまったままだった。  とはいえ、今回のハンスだけではないだろう。吉岡のことだ、きっと過去には他にも何人もの男達と関係を持ってきたのにちがいない。  対する春海の経験値はほぼゼロである。もしかすると、そのせいなのだろうか。自分も過去に、それなりの恋愛経験を積んでいたのなら、ハンスのことなど、これほど気にせずにすんだのだろうか。 「…わかりました」  一呼吸おいて、春海はそう告げた。  だが、わかったと口では言いながらも、決して納得してはいない。  ただ、昔の男の話を持ち出せば、吉岡との間が険悪になるのは目に見えているから、これ以上の詮索はしないだけだ。  春海は、ハンスに嫉妬していることを自覚しつつ、それを悟られまいとして話を変えた。 「ライブですが、姉が承諾してくれたら、一緒に出てもらおうと思います。もちろん、吉岡さんも一緒に」  つとめて、春海が普段の口調で話したせいだろう。吉岡もいつもの調子で答えた。 「では六段を弾くと? さすがにそれはどうかと」 「いえ、違う曲です。大丈夫です、特訓しますから」  春海の言葉に、吉岡がホッとしたように笑った。 「特訓か。楽しみだね」
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