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いつもの面接室に入ると、私は今朝方見た夢を思い出した。 桐島に入れ込んでいるという刑務官の噂を聞いて見た夢だが、あまりのリアルさに、椅子に座っても落ち着かない。 あまり使わないメモ帳をぱらぱらとめくり、気持ちを落ち着かせる。 と、ノックが聞こえて刑務官に連れられた桐島が入って来た。 私は刑務官の顔を確認した。 いったいどいつが桐島を酷い目に遭わせているのか。考えただけでも腹が立つのは、私自身がすでに取り返しの付かないところまで来ているのだろう。 目の前に腰を下ろした桐島を見て、私の体中の血が沸騰しかけた。 夢で見た桐島と、現実の桐島は同じ服を着ていた。 そう量が多くない私服の中のひとつのパターンだと解っていても、心臓がうるさく騒いでいる。桐島は、面接初日に着ていた白いセーターとチノパン姿だった。 「今日は暖かいね」 いつものように何気ない会話からスタートした。 当然桐島は普段どおりに、穏やかに私の話を聞いていた。 しばらく他愛もない話題が続き、私が再審請求の話に切り替えた時、桐島はいつになく柔らかい笑顔で言った。 「先生……僕なんかのために心を砕いていたただいて…本当に感謝しています」 「僕なんか、という言い方は感心しないな」 「僕は、あの日のことを口に出せるとは思ってもいませんでした。聞いていただいたばかりか、こんなに親身になっていただけるなんて…」 「……罪のない人間は正しく許されるべきだと私は思うが…」 「罪…は、あります」 「それは君の思いこみだ。何も悪いことはしていないだろう」 「………」 桐島は、つと、こちらに背を向けて立っている刑務官の方を見た。 私はどきりとした。例の刑務官の話が蘇り、思わず身構えた。 「先生…僕は普通の身体ではないんです」 夢と同じ台詞。 私の緊張は最高潮に達した。あれは予知夢だったのか。冷や汗が止まらない。桐島の裸身が、脳裏に映し出される。 「だから…いいんです」 ここで追求したら、桐島は刑務官にされた仕打ちを告白するのだろうか。そうしたらまるで夢の通りになってしまう。 彼の話を聞いて夢と同じことが起こるか確かめろ、という声と、だめだ、このまま話を逸らせ、という声が自分の中でせめぎ合う。 「桐島くん……私は…」 どちらに進むか決めかねたまま勝手に口が動いた。 「信じたくは…ないのだが…嫌な、噂を聞いてね。それが、君の罪悪感を助長してはいないかと…」 結局私は弱い人間だった。 心のずっと奥のどこかで、あの感覚を味わいたいと思っていたのだ。 これが本当の生臭坊主、というのだ。 「……噂……」 「見回りの刑務官が…その…」 「……お聞きになったんですか」 「本当…なのか?」 「………」 桐島は声を出さずに、小さくうなづいた。机に落ちた視線は悲しさを通り越し既に諦めきっていた。 「助けを呼ばなかったのか…?」 「呼ぼうかと思いましたが…そういう時の担当刑務官は決まって、若く新しい人がペアを組まされていて……どうすることもできないみたいです」 「日中に相談できる人間は?」 私の質問に桐島が自嘲的な微笑みを浮かべた。聞き取りづらい小さな声で桐島は答えた。 「先生……男ばかりの拘置所内で、そんなことを相談したらどうなるか…ご存知ないんですか?」 刑務所では、長く服役する間に男同士が恋愛感情を持ったり、肉体関係を結ぶことが少なくない、と聞いたことがある。 拘置所でも同じなのかどうかは解らないが、桐島が言っている内容はつまりそういう意味なのだろう。 「僕は幸い…なのかどうか解りませんが、そういうときどうやって切り抜ければいいのかを知っています。だから下手に傷つくこともありませんしし……」 「……傷つかない?」 桐島が私の声色が変わったのに気づいて、表情を硬くした。 「そんな…辛そうな顔をして、嘘なんかつくもんじゃない」 「…先生?」 「これでも聖職者のはしくれでね。本当にそう思っているかどうかなんてのは簡単に見抜けるんだよ」 何が聖職者だ、と心の中で自分を蔑む。あんな夢を見て、邪な目でこの青年を見ているんじゃないのか、と叱責する声が聞こえてくる。 「……仕方ないじゃありませんか。僕は…そういう時、自分で自分をコントロール出来ないんです」 「え?」 「父の時と同じです。どんなに心が嫌がろうと、身体が男を受け入れてしまうんですから……」 ふふっ、と場にそぐわない表情で笑った桐島は、自虐半分、面白がっているようにすら見えた。 私の知らない桐島 瑞の一面が顔を出し始めていた。 「嘘はつくもんじゃないと言っただろう。嫌なら嫌と言えるようになるんだ。何でも受け入れていたら壊れてしまう」 「……もう壊れてます」 「私は君に…もっと人間らしく生きて欲しいんだ」 「…もうすぐ死ぬのに?」 「だから再審請求を……」 「先生」 桐島が遮った。ぎくりとして私は口をつぐんだ。 「もし再審請求をしたとして…一体どれほど待たされるんですか」 「それは……」 「待っている間に刑が執行された例も知っています。もし…うまくいったとしても、自由になった僕を待っていてくれる家族は……誰もいないんですよ」 「……例えそうだとしてもだ」 桐島の瞳と真っ向から向かい合い、私は一気に言った。 「私は君を冤罪で死なせたりしないと決めたんだ」 「……乗りかかった船ってやつですか」 「そんなやけくそじゃない」 机を挟んだ向こう側の桐島が、夢の中で私を誘惑した桐島に重なる。 上目遣いで私を見る、淫らな桐島 瑞。 あんな熱を帯びた視線で見られた刑務官はたまったもんじゃないだろうと容易に想像できた。同姓の色香が、こんなに男を狂わせるものだとは。 「まさか、僕が出てくるのを……先生が待っててくださるって言うんですか?」 「……そうだと言ったら…再審請求するのか」 「……聖職者の先生が、僕みたいな淫乱をどうするつもりです?引き取って息子にでもするつもりですか」 「引き取ったら本当に私のところに来るか」 「……息子になるのは嫌ですね。もう……父親はいりません」 「私も君の父親になるつもりはない」 「じゃあ、何になるんですか、僕は先生の」 それを言ったらお仕舞いだ。 心の中じゃ、とっくに解っていた。私は桐島に惹かれている。 夢を見たからなんて言い訳も通用しない。それよりずっと前から、私はこの青年を抱きしめ、守り、触れたいと思っていたのだから。 決定的な言葉を声に出すのは、想像よりずっと恐ろしかった。 「何でもいい。君は…私が引き取る。だから、死なないでくれ」 私は桐島の首筋を抱き寄せ、背を向けている刑務官に気づかれないようにそっと、唇を合わせた。
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