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17
再審請求のニュースも落ち着き始めた頃、それは起きた。
面会室に入ってきた桐島の頬に、痛々しい殴打のあとがあった。
「その傷は…どうしたんだ」
思わず立ち上がり尋ねた私に、桐島は申し訳なさそうに笑った。
「昨夜…拒んだら殴られました」
「何だって…っ…」
「平気です。そうひどくないので」
桐島は椅子に腰掛け、力強く私を見つめた。
「我慢するより、自分の意志を言って殴られる方がずっと楽だって……わかりました。ありがとうございます」
私の助言を実行に移した桐島は明らかに何かが変わっていた。生きたいのだと言っているように見えた。
しかしこれでは毎回殴られてしまうのではないかと心配になった。
「年輩の刑務官に、事の次第は話しました。すぐに改善されるとは思えませんが、行動は起こせたので…」
「強く…なったな…」
「先生のおかげです」
微笑む桐島に心臓が跳ねる。私は自分が彼を本当に愛し始めていることを知った。
悟られないようにメモとペンを取り出す。
日常のこと、法話などを交えてしばらく話したあとのこと。
いつかのように、非常事態を知らせるサイレンが鳴り響いた。しかし今度は停電にはならなかった。
再び刑務官がここでお待ちください、と告げてあわてて出ていく。
外から鍵の閉まる音。
そんなに頻繁に脱走する受刑者がいるわけもない。火事でもあったかと私が立ち上がった時、桐島が先生、と呼んだ。
私の手首を掴んだ桐島の瞳は、私が彼に口づけした時と同じように潤んでいた。
手を引こうとしても離そうとしない。
私は平静を装い机から離れ、彼の正面に立った。
「…先生、この間の話の続きを聞かせてください」
「続き…?」
「僕を…引き取ると…」
確約が欲しい、そう聞こえた。
誰一人頼る相手がいない世界で、彼の支えになりたいと思ったのは私だ。
私は手首を掴んだ彼の手に、自分の空いた手を重ねた。
「約束する。私が……君を引き取る」
「それが何年後でも…?」
「何年後でも」
「……どうして…」
「それは…」
ドアの外の刑務官は、やはり非常事態の収拾に忙しい。怒号が飛び交っているのが漏れ聞こえてくる。
まるで、今、このときのために図られたようなトラブル。
私はこれを利用した。
「私は……君のことが……」
「僕…が…?」
声が震えた。言葉より先に腕が伸びて、桐島の痛々しい痣のある頬に触れる。近づくと、シャツの襟元からも赤い擦過傷が見え隠れしている。
その首筋の傷をそっと撫でると、桐島は私の手に頬を擦り寄せた。
「桐島く…」
「…気持ち悪いですか」
「…いいや」
「少しだけ…このままで…」
桐島は私の手に唇を寄せた。温かく湿った感触に、背筋がぞくりとする。
長い睫を伏せて桐島は気持ちよさそうに私の手のひらにキスをした。
不意に視線だけを上げ、目を合わせて来る。
頭と身体が別々に動いた。
私は桐島を抱き寄せた。
彼の見た目より華奢な上半身を腕の中に納めた。あっ、と驚いた声を上げた桐島はおずおずと私の背中に腕を回した。
うるさい心臓の音は聞こえてしまっているだろう。これではまるで中学生の初恋だ。
緊張していた桐島の身体から次第に力が抜けていった。
私の腕にすべてを委ね、胸に顔を寄せている。顎を持ち上げ顔を近づけると桐島は自然に瞼を閉じた。
唇を重ねた。
今度は私から舌を絡める。桐島の熱い舌が応えて、唾液の音が頭蓋骨の中側から響く。
桐島は私の背中にしがみつき、腰を寄せてきた。
想像通りと言おうか、期待していたと言おうか、桐島も私もそこに熱を持って屹立しかかっていた。
認めざるを得ない、私は桐島に性的興奮を覚えている。
そろりと彼の上着と背中の隙間に手を入れた。滑らかな肌に指が触れると、身体をしならせて桐島がさらに私に擦り寄る。
刑務官の慌ただしい叫び声を聞きながら、私の指は彼の背骨をそろそろと降りていった。
桐島の太腿が私の両足の間に挟まり、ぐいっと押しつけられる。
淫猥な腰つきでそこを擦りつけられ、私は自分からも押しつけた。
「先生…っ…」
布を通して彼の熱い牡が私の足をぞくぞくと泡立たせた。
そろそろ騒ぎが収まるのではないかと危ぶみつつ、私は彼のそこに触れた。指先で下から上へ撫で上げると、桐島は声にならない声で鳴いた。
顎を上げて息を吐き出した桐島の首筋に私は吸い込まれ、唇を付けた。
「桐島くん…っ…」
「…名前…呼んで…下さい…」
「み……みずき……」
こんなきっかけで名前を呼ぶことになるとは思わなかった。
私は彼のズボンのファスナーをもつれる手で降ろし、下着の中に手を差し込んだ。
先端がぬめっている。下着の布を突き破らんばかりの勢いで彼のそこは勃っていた。まるであの夢をリピートしているように、私は彼を絶頂に導いた。
自分が脱ぐわけにはいかなかった。夢と同じようにはいかない。十分おかしなことにはなっているのだが。
桐島の手が私のファスナーにかかったところで我に返った。
あわてて止めた。
ドアの向こうの騒ぎも収まって来ている。
首を横に振って桐島の手を押し返すと、彼の表情は焦りと悲しみと他にもたくさんの感情が入り交じって、ぐちゃぐちゃになっていた。
刑務官の足音が近づいてきた。
「先生、大丈夫でしたか、申し訳ありません」
「ええ。何の騒ぎだったんですか?」
「どうやら警報器の誤作動みたいで……申し訳ない、しっかりと確認しますので」
「そうでしたか…何事もなく良かったです。面接も終わりましたので」
「わかりました」
刑務官は私に会釈した。
扉が開く直前に私と桐島は椅子に戻り、冷静な振りをして刑務官を迎えたのだった。
背中と脇の下には汗が滲んでいる。
桐島はというと、うなだれて刑務官に顔が見られないようにしていた。
大人しく連れられて、桐島は面接室を出ようとしたが、やはり最後に私を振り返った。
桐島の視線は熱っぽく、私の全身に絡みついた。
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