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私は小さな寺で住職をしていたが、そもそも商売に向いていなくて檀家も少ない。自分ひとり食うには困らないが贅沢は出来ない。 しかし桐島を養うことになればやはり少しは蓄えも必要だろう。 副業でも始めるか、とぼんやり考えながら庭の掃除をしていたある日のこと。 「…ご住職ですか?」 声をかけてきたのは、首からカメラを下げ、使い込んだメッセンジャーバッグを肩から下げた男だった。明るい色に染めた短髪、日焼けした肌。 桐島より二つ三つ年上だろうか。いかにも記者という出で立ちに、無意識に不機嫌になる。 教誨師を辞めてから、何度か新聞だのテレビだの不躾な取材が押し掛けてきた。 その都度必要最低限の言葉だけを選びカメラに向かって合掌すると、だいたいが舌打ちして帰って行く。またか。 「…そうですが、あなたは?」 私が彼のカメラを見ていることに気づいて、男はあわててストラップをぐるんと後ろに回した。撮る意思はない、ということだろう。 「いきなりお尋ねしてすみません。こういう者です」 差し出された名刺には、よく聞く雑誌社の名前が印刷されていた。やはり記者か、と思った私の顔色を見て、彼は言った。 「取材で来たわけではないんです。ご住職に、聞いていただきたいお話があるんです」 「私に?」 栗本良明(くりもとよしあき)という名前の彼は、思いも寄らないことを言った。 「僕は、桐島死刑囚の兄の、桐島純一の友人です」 栗本は、桐島の兄純一の幼なじみだった。 小学校から高校まで近所に住んでいて、大学生になり栗本が実家を離れてからは、メールや電話で連絡を取っていたという。 桐島の母と純一の父が再婚したのは知っていたが、桐島とは会ったことがない、と栗本は言った。 「桐島死刑囚の冤罪のニュースで見て…不躾とは思いましたが、どうしてもご住職とお話ししたくて」 「西塔と呼んで下さい。お話とは…どのような?」 「…単刀直入に申し上げます」 栗本は挑むような瞳で私を見つめた。 「桐島死刑囚は……有罪です」 記者たちの無遠慮な質問に慣れ始めていた私は、声を荒げることもなく話を聞くことが出来た。 「…純一さんのご友人ということでしたね。そのあなたが、桐島死刑囚の有罪をどうしてご存じなのですか?」 「遺書を受け取りました」 「遺書……」 「彼が亡くなる直前に届いたメールです」 栗本は私の前に、携帯電話の画面を開いて見せた。 「…これを…私が読んでも?」 栗本はうなづいた。 私はなるべく先入観を持たないよう心がけて、携帯に手を伸ばした。 たった1行。 短い文章を読み終え、念のためもう一度最初から読み直す。 「…これが…有罪を現しているということですか」 「桐島の罪を立証出来るとは思っていません。なので、警察ではなく、西塔さんを尋ねてきました」 「それは、どういう意味で…」 「養子にされると聞いたので……それを、踏みとどまっていただきたくて」 「栗本さん…」 「お願いです」 栗本は、卓袱台からすっと後ろに後ずさりして、頭を床に着くほどの土下座をした。 「どうか……桐島死刑囚を、社会に戻さないで下さい!あいつは死刑になるべきなんです!」 「……頭を上げていただけませんか」 「桐島に罪を償わさせて下さい!冤罪なんて、助かりたいばかりに嘘を言ってるに決まってる!」 「…栗本さん」 私は流石に腹立たしい思いが沸き上がり、冷静に話を中断した。 「お話はわかりました。ですが、私は一般人です。桐島死刑囚を有罪にするのも無罪にするのも裁判次第でしょう。私にそんなことをおっしゃるのは…見当違いではありませんか」 「西塔さんが桐島死刑囚を養子にすると決めたから、再審請求をすることにしたと聞きました。つまり……心の拠り所を得られたから、あいつは生きようと冤罪の嘘をついたんです」 そんな詳しい情報をなぜ一般人が知っているのか。 それも腹立たしいが、何よりも決めつけてかかる理由を聞かなければ。 「そこまでご存知なのであれば、私もお話しますが」 私が低い声で言うと、栗本はがばっと頭を上げた。 「私が桐島を養子に迎えようと、有罪か無罪かの判決には関係はありません。もし当初と同じ有罪であれば、私は戸籍上に殺人犯の息子が出来るのです。その可能性も理解した上で、桐島を養子に迎えることに決めたのです」 「………」 「栗本さんが純一さんの遺書を読んで桐島死刑囚が有罪だと思ったのは、判決通りだと疑わないからですか?」 「いいえ!あの判決すら、桐島の嘘の上に成り立っています!」 「どういう…ことですか?」 「たとえ真実じゃなくても死刑なら構わないと思いました…でも、冤罪の可能性が出たと聞いて…許せなくて…真実は違うんです!」 「…詳しく聞かせてもらいましょう」 私のひときわ低い声に、栗本が姿勢を正した。
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