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栗本の携帯電話には、たった1行の文面が残されていた。
《俺に何かあったら、弟を頼む》
「栗本さんが知っている真実を、お聞かせいただけますか」
栗本は先ほどとは打って変わって、落ち着いた声で話し始めた。
「純一からは…何度か電話をもらっていました。家族のことで悩みがあると言っていて…それが、桐島死刑囚の母親が、純一の父と再婚して3年くらいの頃です」
桐島と兄の純一は仲が良かったと近所の住人も口を揃える。もちろん本人からも聞いている。
桐島は純一に恋愛感情を持っていた。その性癖を利用した父親の圧力が事件を引き起こした。私が長い時間をかけて、彼本人の口から聞いたのだ。
「最初は詳しいことを聞かせてくれませんでしたが…そのうち、悩んでいるのは義理の弟のことだとわかりました。純一は弟を可愛がっていましたが、ある時を境に急に弟の話をしなくなりました。代わりに、僕にある相談を持ちかけてきました」
「相談?」
「…性犯罪についてです」
私は桐島との会話を思い出していた。義父が、桐島が慕う兄を日常的に犯していた。そのことを栗本に相談していたのか。
「それは、どのような?」
「同性によるレイプは…訴えられるかどうか、前例があったかどうか、です。僕はジャーナリストのはしくれなので…知っていることはないかと聞かれました」
「…純一さんが、被害者ということですか」
「いいえ、純一は桐島死刑囚を助けようとしていたんです」
「……え?」
私は内心の焦りを気づかれないようにつとめた。
逆ではないのか。
慰み者にされていた兄の代わりに犯され、そのさなかに自分の性癖に気づいてしまった桐島。いっとき父の興味が桐島に向いたことで、純一は解放されたと聞いた。
私はおそるおそる尋ねた。
「桐島死刑囚が…被害者だと?」
「明確には分かりませんが、おそらく純一の父からの性的暴力です。助けてやりたいが、自分の父親が加害者なので、どうすればいいのか、止められる術はないかと…」
桐島の話と順序が逆だった。
なぜ、桐島は嘘を?いや、そもそも栗本の話は本当なのか?幼なじみにそこまで話すだろうか?言ってみれば身内の恥を。
「それが本当だとして…それが、どう桐島の有罪につながるのです?」
「助けようとした純一を……桐島死刑囚が裏切ったんです」
「裏切り…とは?」
栗本が初めて言い淀んだ。
唇をかみしめ、うつむき押し黙っている。
「これは…止められなかった僕にも責任があるんですが」
「止められなかった?」
「はい。純一は、父親に直接やめるように頼むって言ったんです。僕は、そういうことを日常的にしているなら、次は純一が標的になるからやめろって言ったんです」
「純一さんは…幼い頃お父さんに虐待されていたそうですね」
「…ご存知ですか」
「ええ…」
「純一は、彼の母親によく似ていまして…両親が別れてからは、父親の機嫌が悪い時はよく、母親の名前で呼ばれて殴られたことがあったそうです」
「…そうですか」
その部分は調べたことと相違なかった。
違っているのは、桐島と純一が毒牙にかかった順番。そこに何の意味があるのか。
「純一は言い出したらきかない性格でした。どんなに危ない目に遭っても弟を助けると言って……父親に直談判を…」
「栗本さん」
「…っはい?」
「さきほどから聞いていて、不思議に思うことがあるんですが…」
「…何でしょう」
「そのように繊細な家族間の問題を、幼なじみとは言え、純一さんはこれほど詳細にあなたにお話されたんですか?」
「……え…ええ、そうです」
「純一さんがそれほどに悩んでいたのを知っていたのなら…大事になる前に、警察や…専門家に相談するように勧めたりはしなかったのですか」
「……それ…は…」
「身内の恥を他人に明かすことは、簡単ではありません。それが性犯罪ならなおさらでしょう。…本当に純一さんは、あなたにこのお話を?」
私の目を凝視して、栗本はしばらく考えこんだ。呼吸をしていないように見える。
そして、ふう、と息を吐き出すと言った。
「……さすがですね。やはり僧侶という職業の方相手に、小手先では通用しませんでしたか」
「…あなたは…?」
「純一の幼なじみというのは本当です。ですが、助けを求められたのではなく、記事にしてくれと頼まれたんです」
「記事…?!」
「ええ。記事にしないと、父親を止められないから、と」
「どういう…ことです?」
「…公には伏せられていますが…殺された純一の父、桐島死刑囚の義理の父は、元警察官僚です」
私の背筋は凍り付いた。
調べでは、普通のサラリーマンとしか出てこなかった桐島の義父。
桐島本人も、そのことには触れなかった。
それでは警察に駆け込むことも出来ないだろう。
元妻に接近禁止命令を受けようと、性犯罪を起こそうと、もみ消されてしまう。
ということは、桐島は兄の殺人も、義父の性犯罪もひっくるめて、闇に葬り去るために罪を背負ったのか。
ありえない。
そんな理不尽なことが。
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