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私には教誨師であった時の事は話してはならない守秘義務がある。
しかし、目の前で涙を流す栗本に何かを伝えられないか、そして桐島の苦悩のほんのわずかでも伝えられたらと考えた。
「栗本さん…聞いていただけますか」
栗本は手の甲で涙を拭い、私の顔を見た。
「私には、教誨を行ったときのことを話してはならないという決まりがあります。ですが、この悲しい事件に関わる者として、また桐島 瑞の身内として、今、話しておきたいことがあります」
身内と言ったときに栗本の眉がぴくりと動いたが、私は胸の前で合掌し、続けた。
「栗本さんは純一さんから、私は桐島死刑囚から事件について聞き考えることのできる、それぞれにとっての唯一の理解者でしょう。主観が違うので、どこかに善があり、どこかに悪があります」
「……桐島死刑囚は悪くないとおっしゃるんですか」
「いいえ。…というより、桐島が殺人者であるということは、一度判決が出ています。今の段階では、彼は紛うことなき死刑囚です」
「では…何をおっしゃりたいのです…っ…」
「私は彼と面接を重ね、彼が罪を償う気持ちを持って旅立てるようにするのが役目でした。彼は素直に罪を認め、死を受け入れようとしていました」
「だったら余計なことをせず、死なせてやればいいじゃないですか!純一は…桐島に殺されたのに!」
「…そうかもしれません。でも私は、このままでは彼が穏やかな気持ちで旅立てないと思ったのです。桐島は、愛情を信じることが出来なくなっていました。死刑囚にも…人間としての尊厳があるということを伝えるのが、教誨なのですよ」
「尊厳…?」
栗本はぎらついた目で私を睨んだ。
卓を両手の拳でどん、と叩いて栗本は言った。
「兄を…大切にしてくれた相手を殺しておいて、尊厳だと?!そんなもの必要ない!!」
「…お気持ちはわかります。でももしそれが本当だったら、教誨師という仕事は産まれなかったでしょうね。人が死んでいく時は、何も持って行くことは出来ません。だったら、たったひとつ、人間としての尊厳だけを持たせてやる…そのために教誨師は彼らと向かい合うのです」
「僕には分からないですね…罪人は罪の意識に苛まれて死んでいけばいい!穏やかになど……残された者は許さない!」
私は憤る栗本の目を見つめた。
そして、声を低くして言った。
「栗本さん、どうやって死刑が執行されるか、ご存知ですか?」
「えっ…」
「今は、ネットなどで執行の仕方が検索出来ますから、システムは簡単に知ることが出来ます。ですがもちろん、一般の方が立ち会えるわけでもありません」
私がそう言うと、栗本ははっとして口をつぐんだ。
「教誨師は立ち会います」
私は少し声を強くして、言った。
「ある日何の前触れもなく刑務官に刑の執行を知らされ、最後に教誨師との面会で、思い残すことはないかの確認をします。日本は絞首刑ですから、自ら縄に首をかけ…もちろん暴れて嫌がる受刑者も居ますが…」
栗本は、瞬きもせず私の一言一言を聞いていた。
「数人の刑務官が一斉にボタンを押し、床が抜けて刑が執行されるわけです。その一部始終を、教誨師は見届けます。実際私も、その経験があります」
ひといきに言い切って、私は息を吐き出した。
「いつなのか分からない刑の執行を、死刑囚はひとりで何年も待ちます。その間、反省をしない受刑者ももちろんいます。しかし罪を償う気持ちでひたむきに教誨を受ける受刑者には、その日まで人間らしくあること、穏やかに死を待つことを勧めます。それは…許されないことでしょうか?」
「……僕は…執行を待つ間も死んでいくときも、苦しんでほしいと思いますが」
その言葉で一気に頭に血が登った。私は合掌を解き、卓を両手で強く叩いた。
「苦しいに決まっている!」
溢れる言葉を止めることは出来なかった。
「苦しんでいるに決まっているでしょう!桐島と純一さんの間にあったことをそこまで知っているのなら、桐島に罪の意識が無いなんてあり得ないとは思いませんか?!あなたの話してくれたことが本当なら、桐島だって純一さんを愛していたはずだ!それなのに殺してしまったというなら…そこに、第三者の知り得ない何かがあると考えたことはないのですか?!たとえ誰にも許してもらえなくても彼は今もちゃんと苦しんでいる!部外者である私たちはどんなことをしたって、桐島のことも、純一さんのことも、ご両親のことも、理解することはおろか、救ってあげる事なんて出来ないんです!」
「西…塔さん……」
「救うことも、理解することもできない……だから私は、教誨を通じて桐島と向かい合い、彼が命がけで告白した冤罪を信じたのです。もちろん、その可能性は高くない。間に合うかどうかも分からない。教誨師を辞めた今、やはり有罪となっても見送ることも出来ない」
私は自分の涙が卓の上に水たまりを作っているのを見た。
こんなに涙が出たのは久しぶりだ。
「……全て覚悟の上で、私は今ここにいるのですよ。桐島の無罪を信じていると言うより、私は…桐島 瑞という人間に賭けたのです。私の命を」
栗本は口を半開きにしたまま、固まっていた。
私は姿勢を正し、会釈した。
「失礼しました。生臭坊主の戯言と…お忘れください」
「……お気持ちは分かりました」
栗本も私に向かって軽く頭を下げた。
写真と携帯電話を見ながら、彼は言った。
「少しだけ…思い出しました。純一が僕に初めて桐島死……瑞くんのことを教えてくれた時のことを……かわいい弟が出来たんだって…大人になってから兄弟が出来ると思わなかったから、すごく嬉しいと…」
ふたり並ぶ写真の純一は、桐島の頭を抱え込むようにして笑っていた。
抱き寄せられた桐島は幸せそうに目を細め、ピースサインをしている。
どれほど愛おしかっただろう。
どれほど哀しかっただろう。
「西塔さんは……何かをご存知なんですね」
「真実かどうかはわかりません。私は…部外者ですから」
「……最後にひとつ、聞かせてください」
栗本は居住まいを正し、言った。
「もし桐島死刑囚が、明確な殺意を持って両親と純一を殺したとしたら…それでも西塔さんは、今と同じ思いで彼を信じることはできますか」
それは、私自身何度も考えたことだった。
私に話した全てが嘘だったら?
栗本の言うとおり、兄の思いを裏切り殺してしまったとしたら?
助かるために私を利用しているだけの、残忍な殺人者だったとしたら?
それでも私は。
「変わりません。私は……私が聞いた言葉を信じます」
瑞を愛しているから。
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