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結局純一は、瑞が家族になる前から、父親に暴力と性的暴力を受けていたと分かった。
栗本が、瑞が被害にあったことしか言わなかったのは、純一が相談したとき彼に自分の受けた暴力は伏せていたからだった。
順序が違って聞こえたのは、その理由からだった。
入り組んだ事件の真相は、瑞の最後の告白によりやっと全てのつじつまが合った。
私は瑞の告白を聞いた翌日、親族が建てた桐島家の墓に向かった。
誰かが来た後なのか、黄色い可憐な花が活けられていた。
もしかしたら栗本かもしれない。
私は持ってきた白い花を黄色い花の隙間に挿し、線香に火を付けた。
宗派はわからないが、いつもの念仏を唱える。
欲望に墜ちた父親と、真実から目を逸らし続けた母親。
死をもって瑞への愛を貫いた純一。
どうか成仏を、と願うしか出来なかった。
墓に深く頭を下げ、背を向けた瞬間、暖かい風が背後から私を包み込んだ。
冷たい石の下に誰もいないことは知っているが、純一に話しかけられたような気分だった。
父親にも母親にも、純一にも出来なかったことを私がするしかない。
私はもう一度墓を振り返り、そして歩き出した。
再審請求から3年が経った。
当初、凶器となった刃物には瑞の指紋だけが見つかったとされていたが、
再捜査により、自殺を図った瑞と逆の持ち方で、純一の指紋が見つかった。
警察の捜査ミスは大々的にメディアに報道された。
連日瑞の顔がテレビ画面に映し出され、その整った顔立ちから、事件勃発の時とは打って変わって「美しすぎる悲劇の死刑囚」と言われて一躍有名になった。
私の寺にも、しばらく遠のいていた記者だのテレビクルーだのが再び押し掛けるようになった。
私はそんな騒がしい生活の中で、面会と手紙を欠かさず続けた。
面会で会えるのだから手紙は必要ないのではないか、と聞いてみたが、瑞は「君行さんの字を見ていると落ち着く」と言って欲しがった。
事件の真相が分かったので、私が手紙に書くことは日常の他愛のないことばかりだった。
庭に咲いた花の種類、その日に食べたもの、新しく読んだ本…瑞はそんなどうでもいいことを喜んだ。
瑞からもよく手紙が届いた。
最初のうちは、事件のことを反芻し後悔だったり、まとまらない気持ちをつらつらと書きなぐったりしていた。
しかし、最近その様子が変わってきて私は戸惑っている。
西塔 君行様
この間の差し入れの本、とても楽しく読みました。
エッセイはあまり読んだことがなかったので、新鮮でした。
それからチョコレートのお菓子も美味しかったです。実は甘いものが大好きです。
君行さん、あの時の答えを聞かせてください。
僕はここを出たら、あなたの何になるのですか?
息子は嫌だとお話しましたね。
弟ですか?それも悪くはありませんが、僕には純がいるので出来れば違う方がいいです。
まさか弟子になるのでしょうか?
僕は毎日、君行さんと暮らせる日を夢見て、不安になったときは念仏を唱えて過ごしています。
君行さんの手紙を見て、眠りにつきます。すると、悪夢を見ずにぐっすり眠れます。
でも出来るなら、本物の君行さんの声を聞いてから眠りたいです。
早く一緒に暮らしたい。
瑞
瑞からの手紙は日に日に熱烈になっていった。
検閲を通るはずだが気にしていないのか、内容は間違いなくラブレターだった。
こちらからの手紙ももちろん検閲を通るので、迂闊なことは書けない。
筆を用いて、それらしく言葉をすり替えて返事を送るが、瑞はいつも明け透けな内容で送ってきた。
恋愛に不慣れな中年には、なかなかハードルが高いやりとりだった。
面接の際には一応真面目な顔をして向き合うが、明らかに嬉しそうに、瑞はガラスに手を当てる。
触れられない私たちには、ガラス越しに手を合わせるのが精一杯の愛情表現だった。
瑞は刑務官の目を盗み、ガラス越しに口づけしたがったが、それは我慢するように説得した。
そんなある日、私は瑞の首筋に、不穏な赤い痕を見つけた。
かつてのどす黒い記憶が蘇る。
また、あの刑務官の仕業なのか。
面接で聞くことが出来ず、私は手紙にその件をしたためた。
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