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これまで楽しかったことといえば、夜中に恋人と缶酎ハイを片手にぶらぶらと散歩したことや、よく晴れた日にベランダでしゃぼん玉を吹いたりした事だ。
それから少し胸が苦しくなるのは、暑い夏の日に、窓際で風にあたりながら昼間からビールを飲んだことと、大好きなバンドのライブチケットが手に入らなかったからってライブ会場の外で音漏れを楽しんだ冬。
「思い出」ってやつは、独りでもつくれるものだと思っていたけれど、楽しかったことや胸がきゅっとなるような出来事には、いつもその時々の恋人がいる。
焼肉にラーメン、映画も何でも「おひとり様」が得意な私だけれど、「おひとり様」で経験したことは「思い出」とは言わず、それはただの「経験」でしかないのだという事は、大人になってから気づいた。
時間が経っても心に刻まれている出来事が「思い出」として大切にされるのだろう。
そうして「思い出」と呼ばれる記憶たちは、いつまでたっても私の脳みそから消えてはくれない。
「心」はどこにあるのだろうかと、空を眺めながらよく考える。
記憶を司るのは脳だから頭にある、という説を聞いたことがあるけれど、私個人としては心臓にあればいいと思う。特に深い理由はない。
「脳が記憶している」という表現よりも、「心臓が記憶している」という表現の方が好みなだけだ。
ほら、「瞼に焼き付いて離れない光景」とか言うじゃない。
これだって実際のところ瞼に光景が焼き付くわけがなく、皺々の脳みそに強烈に記憶が残っているだけ。
けれど、
「あの日の光景を、まだ強烈に脳が記憶している」と言うよりも、
「あの日の光景が瞼に焼き付いて離れない」と言った方が伝わりやすい。
心臓が記憶しているという表現も、それと同じような感覚で私は好きだ。
だからといって、日常的に使う表現では無いのだけれど。
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