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私が彼と出会ったのは、もういよいよ死のうかと思っていた雪の季節を逃し、花や木々の匂いが風に乗って鼻をくすぐる5月の頃だった。
雪がしんしんと降り積もる真夜中に、住んでいるマンションの前にある公園で大好きなお酒を飲みながら凍死自殺をするんだと、前年の末から身辺整理を始めていたのに実行に移せなかった。
死ぬために仕事を辞めてニートになったのに、うっかり次の職を探してしまい、更にうっかり新しい職場で働くことになってしまったのだ。
うっかりすぎにも程があるだろう。
しかしそんな矢先に出会った彼は、私が生きてきた中で群を抜いて好みの容姿をしていた。
それだけではなく、声も強烈に好みだった。
華奢で色白くすらっとしたシルエットの彼の、飾らない無造作な黒髪が大好きだった。
彼は私よりも年下で、黙っていれば物静かで儚げな雰囲気を纏っているのに、実はわがままで子供っぽくて口が悪い。
いつもおどけて笑わせてくるのに、たまに頼り甲斐のある男らしさも見せるから、私は日を追う事に彼のことを好きになっていった。
「おもちちゃん」
お世辞にもスタイルが良いとは言えない私のことを、彼は巫山戯てそう呼ぶことがあった。
そんな「おもちちゃん」な私が良いのだとさえ言ってくれた。
彼と出会って恋愛関係になってから、私は彼の部屋に入り浸るようになった。
それは私が望んだことと言うより、彼がそれを望んだと言った方が正しいのかもしれない。
クリスマスの日には、仕事から帰った私にサプライズでホールケーキを用意していた。
私が何の気なしに冷蔵庫を開けると彼は、
「あ!見つかった!」
と、少し照れくさそうに悔しがっていた。
うっかり死ななかったおかげで彼と出会い、たまに喧嘩をしながらも笑って毎日を過ごしていたおかげで、いつの間にかうっかり「死にたいなんて考えるのはやめよう」と思ってしまった。
365日も経たないうちに彼は離れてしまうのに、本当にどこまでいってもうっかりだった。
彼がいなくなってから数ヶ月間は酷く落ち込んでまともに食事も出来なくなった。
職場の飲み会で空きっ腹にアルコールを入れたせいで、気持ち悪くなってトイレで吐いたりもした。
ほとんど何も食べずに過ごしたのに、私の醜い体型は一向にスリムにはならなかった。
「おもちちゃん」
低くて気だるそうで、少し鼻声にも聞こえる彼の声が、頭に響く。
うっかり死に損ない、たまたまのラッキーで彼に出会い生きてしまった私は、また彼がいない世界へ戻り、一日に最低3回は「死にたい」とどこに向けてでもなく呟く。
彼を恨んでいるわけではない。
これっぽっちも、1ミリも、本当に恨んでなどいない。
彼に振られたから死にたいと思っているわけでもない。
ただひとつだけ、もっと一緒にいたかったと、彼と過ごした時間を思い耽る。
そんな日々を続けている。
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