第2話:学祭と性分

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第2話:学祭と性分

 夢を見ていた。  ずっと誰かの名前を呼びながら、その誰かを追いかけている夢。  どんな夢だったかと聞かれても詳しくは覚えていないのだけれど、その追いかけていた人は僕にとってとても大切な人だったという事は覚えている。  小鳥の鳴く音がする。  初めは気にならなくてもずっと鳴いていると気になってくる。  小鳥の歌声が入ってくる度に、遠い所にあった意識が徐々に自分の体に戻っていく。  ゆっくりと体を起こし、グゥと伸びをする。  ――ポロリ。  その時初めて自分が泣いていた事に気がついた。  何か悲しい夢でも見ていたのだろうか。  中川海翔は未だ朧げな意識の中で脳内を検索してみるが、思い当たる節は無い。  寝起きだからか多少の頭痛はあるものの、カーテンのすき間から差し込む暖かい光はマイナスの気持ちを全てふっ飛ばしてくれる。  よく分からないならもう考えるのはよそう。  海翔はそう思い、カーテンを開ける。  気持ちいい朝日が全身を優しく包み込む。  ブレザーの制服に着替え、リビングで朝食を取る為一階に降りる。  テレビを見ると朝のニュースをアナウンサーが伝えている。  ここ数日、連続猟奇殺人事件の話題でテレビは持ちきりだ。  一週間前から毎日の様に死体が見つかっているが犯人はまだ捕まっていないらしい。 「あらあら、まだ犯人捕まってないの? 怖いわね」  キッチンからマグカップを二つ持った母親が出てくる。  テーブルの上には、既に二人分の朝食の準備がされている。 「おはよう、母さん」 「あら海翔。おはよう」  テレビを見ながら母親と二人で朝食を取る。  母親は夜勤が多いため、せめて朝食だけはこうして二人そろって食べる。  というのが母親としての意地らしい。 「ごちそうさま。それじゃ行ってきます」  テレビから流れてくる物騒な話題を聞きながら、向かい合って朝食を取る。  こんな普通の生活が海翔は意外と気に入っていた。  手早く皿を片付け海翔は母親に手を振る。 「行ってらっしゃい。危ないからあまり遅くならないようにするのよ」 「分かってるよ。それじゃ行ってきます母さん、父さん」  父親の仏壇に話しかけてから出かける。  父親は海翔が小さい頃に死んでしまったから少ししか記憶にないのだが、母親の話を聞いていると、とても優しく真面目な人だったらしい。  ドアを開け外に出ると暖かい風が吹いている。  真夏のうだるような暑さでもなく、真冬の様な厳しい寒さでもない。  残暑が終わり秋の初め。一番気持ちの良い季節ではないだろうか。  これは近々に迫っている学祭の準備にも力が入るという事だ。  通学路である路地を歩くこと約十五分。  そこに海翔の通っている都立高校がある。  この高校にはある特徴があり、それは門を通ってから昇降口までの長さが百メートル程あることだ。  遅刻常習犯の生徒からは魔の百メートル(実際100メートルもないと思われる)と呼ばれているとか何とか。 「よっ、海翔」  後ろから名前を呼ぶ声と共に急に肩を叩かれる。 「ああ、慎吾。おはよう。朝練は?」  振り返るとそこには、自転車を押している高身長で爽やかな雰囲気を漂わせている青年が立っていた。  彼の名前は加藤慎吾。  サッカー部のエースストライカーである彼が、この時間に海翔と出会うのはおかしい。  サッカー部では毎日朝練が行われているからだ。 「おうよ。寝坊した」  そう言って慎吾は、満面の笑みを浮かべながら親指を天高く突き上げた。  あまりにも爽やかな寝坊宣言に、海翔は思わず苦笑する。 「お前見たか? 今朝のニュース。怖えよなぁ」 「そうだね。連続殺人犯、全くどこにいるんだろうね」 「案外、近くに居たりして」  そんな事を話していると、突然二人の会話に少女の声が加わる。 「うわぁ! 急に出てくんじゃねぇよ、遠藤!」  慎吾はその少女の声に気が付くと、自転車を投げ飛ばすような勢いで大きくのけ反る。 「おはよ。ふふふ、驚いた?」  そんな慎吾の様子を見て、少女――遠藤詩織はおかしそうに笑う。  世の中の女性たちはボブヘアーと言うのだろうか。  肩にかからないくらいの髪の長さの髪型がよく似合う少女だ。 「おはよう、遠藤さん」 「うん、おはよ中川君。あれ、何か悲しい事でもあった?」  詩織はそう言って、海翔の顔を覗き込む。  互いの吐息がかかるような超接近に、海翔はたじろぎながら少し距離を取り首を大きく横に振る。 「いッ! いいや、何もないよ?」 「……そっか。少し目元が腫れてた気がしたから。気のせいだったかな」 「う、うん。気のせいじゃないかな」  確かに今朝、目が覚めたとき海翔は目から涙を流していたが、悲しい夢を見ていた気がするから泣いていました。  なんてクラスメイトの女子に口が裂けても言えない。 「もし何かあったら何でも相談してね。私は委員長なんだから」  そう言って詩織は胸元を叩き、可愛らしい笑顔で微笑む。 「ありがとう。何かあったら頼らせてもらうよ」  詩織の笑顔を見ると、心が和む。  今朝の涙の訳を考えていたら、大切な物を失ってしまった時の様な寂しさを感じていたので正直ありがたかった。  本日の授業を終え、放課後になった。  皆それぞれ部活や、帰宅の途へ着く。  あっという間に教室は海翔を残して一人になる。  さっきまで賑やかだった教室は一転して静かになり、遠くから部活動の声がする。  吹奏楽の楽器音色やダンスの掛け声、運動部の走っている音など様々な音。  そんなのがはっきり聞こえてくる程、教室内は静まり返っている。  海翔は教室の後ろ側、学祭に使う道具が入れてある箱を取り出す。  海翔のクラスの出し物は森の中にポツンとある隠れ家をイメージした喫茶店だ。 「全く、テーマだけは立派だね……」  そんな喫茶店には行った事が無いので想像するしか無いのだが、森の中、というのでまずはログハウス風の壁紙に、丸太の机っぽく見せるためのテーブルクロス、その他諸々の小物類など準備しなければならない物は文字通り山の様にある。  しかし現在、総合的に見て終わっているのは約二十パーセントくらいのものだろう。  学祭までは今日含めあと三日。かなり厳しい状況である。  しかし、今日の頑張りしだいでは決して不可能ではない。 「よし。ウダウダ言ってても終わらないし、やりますか」  腕まくりをし、頬を両手で軽く叩く。  パフォーマンスと言えども、案外気合が入るものである。  海翔は頬に少しの痛みを感じながら、作業を始めた。  作業を始めてから数時間が経ち、下校のチャイムが鳴る。  猟奇殺人事件の影響で本当はもう下校しなければならないのだが、今帰ると作業は絶対間に合わないだろう。 (どうする? 校則か、進捗か。この季節は十七時を過ぎると一気に日が落ちてしまう。少し考えていると一人の男子生徒が女子生徒を何人かはべらせて教室に入ってくる。 「ああ、中川。まだやってたんだ」  ニヤニヤ笑いながら入ってきたこの男は斎藤剛。  容姿端麗、家は金持ち、スポーツもそれなりにできる、とクラスのリーダー的存在だ  なので、毎日誰かしらの女子を連れて歩いている。 「酷い言い方だね。君が僕に頼んだんじゃないか斎藤君」 「まぁそう言うなよ。学祭が成功するかはお前にかかってんだぜ? それじゃ、俺は忙しいから」  手をひらひら振りながら教室から出ていく。 「全く……、自分勝手に言っちゃって」  人に何かを頼まれると断れない。  いつからだろうか、気づけば海翔はこんな性分になっていた。  人はこれをお人好しだとか気が弱いだとか言うが、海翔はそう思わない。  海翔はただ、海翔がやったことで笑ってくれる、幸せになってくれる人がいるのならそれで満足なのだ。 「じゃ、もうひと踏ん張り。頑張りますか」  もう少し作業を進めれば今日のノルマは終わる。  もう少しでノルマが終わるのなら誰だって頑張れるだろう。  海翔は頬を叩き、気合を入れなおして再び作業を開始する。  外からは当然ながらもう部活動や練習の声は聞こえてこなかった。 「ふぅ、こんなもんかな」  作業の手を止め、ふと窓の方を見る。  日は落ち、外はすっかり真っ暗だ。  窓を開けるとヒンヤリとした風が教室に吹き込んでくる。  ボンド臭かった教室が爽やかな空気に入れ替わる。  窓枠に軽くもたれ掛かり、何となく澄んだ夜空を見上げる。  その瞬間だった。  海翔の頭をトンカチで力いっぱい殴られたような、頭痛が襲う。 「ウグッ! カハッ!」  吐き気を催すほどの激痛に、海翔は頭を抱え込みその場に座り込んでしまう。   『クソッ、この野郎! しつこいんだよ!』  脳内に見知らぬ男の声が響き渡る。  何かに追われているのだろうか。  舌打ちをしながら放たれた言葉は、うざったそうな感じがする。 「君は……一体!?」  失ったものを取り戻すように夜空に向かって手を伸ばすと、いつの間にか頭痛は消えていた。 「何だったんだ? 今の……」  脂汗をぬぐいながら、ゆっくりと呼吸を整える。  こうして深呼吸をしながらゆっくりと体調を整えていると、突然後ろから声をかけられた。 「あれ、中川君? もうこんな時間なのになんで?」  声の聞こえた方へ顔をやると、廊下側の窓から不思議そうな表情を浮かべて詩織がこっちをのぞき込んでいた。 「ああ、遠藤さん。僕は学祭の準備だよ。遠藤さんこそ何でこんな時間に? もうとっくに下校時刻は過ぎてると思うけど」  海翔が聞き返すと詩織は慌てた様子で答えた。 「わ、私!? えっと……そう! 忘れ物をしちゃったの!」  明らかに嘘をついている様子だがまぁ問い詰めても仕方無いのでそれ以上は問い詰めなかった。  「そっか。まぁいいや。僕はまだ片づけがあるから。遠藤さんはもう帰った方がいいよ。見つかったら先生に怒られちゃうし」  海翔は適当に話を切り上げて片づけを始める。  それなりに散らかしていたのでテキパキ進めないと本当に遅くなってしまう。 「それなら手伝うよ。二人の方が早く終わるでしょ?」  そう言うと、詩織は隣に来て一緒に片づけを始めた。 「いいの? 帰るの遅くなっちゃうよ?」 「そう。だから二人でやるんでしょ? さ、用務員さんが来る前に早く終わらせちゃおうよ」  まぁ確かにそう言われればそうである。  これまで誰かに何かを手伝ってもらった事が無かったのでそんな考えには至らなかった。  手伝ってくれるのはとても助かる事なのでまぁいいだろう。 「よし、片付いたね。ありがとう、遠藤さん」  あんなに物で散らばっていた教室はあっという間に綺麗になった。  海翔は部屋とかが散らかっているタイプとかではないのだが、作業を進めながら片づけをするのが滅法苦手だった。 「いえいえ、どういたしまして。それよりあの人形たち、皆中川君が作ったの?」  詩織はロッカーの上に並べてある人形の方を見て言った。  人形は詩織が言う所の「こんなによく出来てるのに箱にしまっちゃうのは勿体ない!」  だそうなので完成した物からロッカーの上に並べていくことにした。  なので今、ロッカーの上には色とりどりの小動物達が海翔たちを見つめている状態で、若干カオスである。 「まぁね。子供の頃から手先だけは器用なんだ」  自分の作品がこれだけ並んでいると、まるで自分の個展を開いたような感じになって若干感慨深いものがある。 「へぇ、すごいね」  詩織はリスの人形をおもむろに手に取ると、フッと笑った。  自分の作品をあんな愛おしそうに見られているのが何とも気恥ずかしくなり、海翔は小さく咳払いをする。 「さ、そろそろ帰ろうか。用務員さんに見つかると面倒だしね」  二人は教室を出る。校舎はもうとっくに消灯されているので真っ暗だ。 「ねぇ、中川君。もしかしてずっと一人で作業してたの?」  暗い廊下を歩いていると詩織が問いかけてくる。 「うん、まぁね」 「なんで? 放っておく事もできたのに」  詩織が不思議そうに聞いた。  悪意があるというより純粋に疑問に思っているといった様子だった。  まぁその疑問も当然だろう。  クラスメイトは誰も放課後まで準備なんてしていない。  見返りもないのに、なぜこんな時間まで一人残って準備なんてしているのか、と思うのは当然の事だろう。 「なんで、って言われても頼まれたからとしか」 「頼まれた? 誰に?」 「もし僕が誰か言ったら、遠藤さんはその人に文句を言いに行ってしまうだろう? だから言えない」  さらに詩織は唇をキュッと閉じ、不思議そうな顔をする。 「じゃあなんで断らなかったの? こんな事誰もやってないのに僕に押し付けるな! って」 「僕、小さい頃から人に頼まれると断れないんだよね。性分って奴かな」  詩織は「そっか……」と呟くと、 「じゃあ、明日からは私にも手伝わせて! 準備」と満面の笑みで言った。 「いや、悪いよ。元はと言えば僕がやらなくちゃいけない事だし」 「それじゃあ……私にも手伝わせて? 私からのお願い!」  詩織はステップをしながら海翔の前に立つと、手を後ろで組み上目遣いでそう言ってくる。  これは海翔の性分とは関係無しに、可愛い女子にこんな頼み方をされて断れる男子はこの世に存在しないだろう。 「……分かった。一緒に頑張ろう」  海翔は小さくため息を吐くと、諦めたように笑った。  そんな会話をしているとあっという間に校門の前まで来ていた。 「そうだ、遠藤さん。近くまで送って行こうか? 物騒だし」  この一週間、毎日殺人事件が起こっているのだ。  それなのに、夜道を女子を一人で帰すのは危険極まりないだろう。   「いや、お気持ちだけで。逆方向だしね、家」  詩織はそう言って、両手の人差し指を逆方向に指す。  そう言えば家の方向が真逆だった。 「そっか、分かった。気を付けてね」 「うん、ありがとう。また、明日学校でね」  お互い手を振って帰宅の途へ着く。
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