第3話:契約

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第3話:契約

 路地を一人で歩いていると、ふと今朝のニュースが脳裏によぎる。  連続殺人犯がもしかしたらこの辺りに潜伏しているかもしれないという話だ。  まぁいつも歩いている路地だ。  偶然殺人犯と出会うなんて事はないだろう。  そんな事を呑気に考えながら角を曲がる。 「ア゛ァ、ヴァ?」  どす黒い剣を持った化け物と目が合った。  猫背なので分からないが、直立したら二メートルは優に超えるだろう。  体全体が黒い煙のようなものに包まれており、ぼやけている輪郭に背中には漆黒の翼が片翼だけ生えている。  そして目は赤黒く怪しい光をはなっている。  始めはドラマや特撮の撮影かと思った。  しかし、そんな考えは一瞬にして打ち崩された。  なぜなら、化け物の足元には今しがた殺されたであろう女性の死体が倒れていたからだ。  よく見ると化け物の持っている剣の先からは血がポタポタ垂れていた。  全身を寒気が襲い、産毛が逆立つ。  本能的にこいつはヤバいと感じたのか、反射的に元来た道を走って逃げる。 「な、なんなんだ、あいつ!?」  達観した性格で大抵の事には驚かない海翔だが、あれには流石に驚きを隠せなかった。  この激しい心拍数は、全力で走っているからだけの理由ではないだろう。  化け物が追ってきているかどうか確認するため、後ろをちらりと振り向く。  化け物はノッシノッシと巨人が歩くようなゆっくりとした歩調にも関わらず、海翔が走るよりも速いスピードで追ってきていた。  一段と心臓が跳ね上がる。  細い路地を右に左にと曲がり、どうにか撒こうとしてみたが化け物を撒くことは出来ず距離は徐々に詰められてしまう。 「……!?」  気づくと海翔の前には、到底乗り越えられないであろう壁が無慈悲にも立ちふさがっていた。  周りを取り囲む壁もどう頑張っても乗り越えられる高さではない。 「ははッ……マジか」 この絶望的な状況に思わず口角がニヤけてしまう。  遂に壁際まで追い詰められた海翔は、へたりと座り込んでしまう。  化け物はのそりのそりと歩いてくる。  さっきと全く同じ歩き方のはずなのに、今度は確実に獲物を逃がさないようにゆっくりと近づいてくる。  遂に海翔と目と鼻の先という所まで来ると、化け物はゆっくりと剣を持ち上げていく。  ああ、この剣が振り下ろされたら僕は死ぬのだ。  こういう時は走馬燈だとか、どうせなら貯金を全部使ってから死にたかったとか、後悔の波が押し寄せてきそうものだが、不思議と後悔の類は何も浮かんでこなかった。 (そうだな……。強いて言うなら、遠藤さんとの約束を守れないのが唯一の後悔かな……)  まぁいいか。死んだら何も関係ない。  そう思うと、不思議とリラックスしてきて心臓が落ち着いてくる。  海翔は眠りに落ちるように目をつむる。  ……。……。……。  おかしい。  もしかしたら自分でも気が付かない内に死んでしまったのかもしれないと、勘違いしてしまうほどに、その時は訪れない。  恐る恐る目を開けると、そこには天使がいた。  全体的に赤い色合いの男。  天使が目の前にいるなんてこと、生きていて思う事があるなんて思いもしなかった。  しかし今、相対しているそれは紛れもなく天使だった。  なぜなら、背中にとても美しい赤色の翼が生えていたからだ。  あ、翼は粒子の様になり消えてしまった。  海翔は未だ目の前で起こった出来事を理解出来なかった。  神秘的な雰囲気に圧倒されていると、その男は突然口を開き言った。 「おい、お前。死にたくなかったら、俺と契約しろ。まぁ、拒否権は無いんだが」  契約? ちょっと何言ってるか分からない。  助けてやったんだから金でも払えと言うのだろうか。  大きく深呼吸をして「いいえ」と言うために、口を開く。 「いいよ。どうすればいい?」  脳内は確実に「いいえ、NO」と否定の気持ちだった。  しかし、口から飛び出てきたのは肯定の言葉だった。    状況が全く理解できない海翔は今、ようやく自分が無意識に手を天使に向かって伸ばしていた事に気づいた。 (なんで僕……手を伸ばして?)  脳内にあるのは純粋に疑問ばかりだ。  しかしそれは感情としては半分で、もう半分は安心を感じていた。  何故か分からないが海翔はこの契約に応じなければいけないと思ったのだ。  決して恐怖心や、思考を放棄しているからではない。  むしろ思考のレベルは普段よりも研ぎ澄まされているほどだ。  なんというかこうなる運命なのだと思った。  自分でも何を言ってるのか分からないがそう思ったのだ。 「あ? 随分話の早え奴だな。まぁいい。物分かりが良い奴は嫌いじゃない」  赤の天使はそう言うとニヤリと悪人顔で笑い、海翔の手を取ろうと手を伸ばす。  その時、後ろの曲がり角から、鎌を持った女が突然現れ、赤の天使に突撃してくる。 「見ぃつけた。こんな所で一体なぁにしてるんだぁい?」  迫ってきた鎌を赤の天使は持っていた剣で受け止めた。  ギリギリと互いに押し合う。  鎌を持った紫の天使はニヤ付きながらさらに力を込める。 「チッ! 邪魔くさいな! 向こう行ってろよ!」  赤の天使はとても不愉快そうに返した。 「あんた今『契約』しようとしてたんじゃないか? そんな事私がさせると思うかい?」  紫の天使がさらに力を込めると、赤の天使は徐々に押されていく。  遂には、鎌の切れ味に負けているのか剣にヒビが広がる。 「あぁ、もう、鬱陶しい! 寄ってくんじゃねぇ!」  赤の天使は少し後ろに下がり鎌を避けると、紫の天使に蹴りを放つ。  紫の天使はそれを避けるため曲がり角の方まで下がる。  一瞬、海翔と赤の天使がいる場所は鎌のレンジの外になる。 「おい! 手、伸ばせ!」  赤の天使が海翔の方へ手を伸ばす。  その手を掴むように海翔は手を伸ばした。  二人の手が触れ合った瞬間手から光が放たれ、海翔は思わずその眩しさに目をつむってしまう。 「契約成立だ。よろしくな、海翔」  目を開けると周囲は真っ白な空間だった。  さっきまでいた路地はどこにいったのだろうか。 「あ、うん。よろしく。えっと.....クロウ?」  なぜだか脳内に浮かんだ名前を口に出す。 「あん? なんで俺の名前を知ってんだよ。まぁいいか。先に言っておくがお前が俺を使うんじゃなくて、俺がお前を使うんだからな。忘れんなよ」  ちょっと何言ってるか意味が分からないが文句を言ったら怒られそうだったので、海翔は固く口をつむぐ。 「あぁ、あとこれは俺からの選別だ。ありがたく受け取れ、よッ!」  クロウはそう言って、黒っぽい塊を海翔に向かって投げる。  その塊は海翔が差し出した手の上で、フワフワと浮いている。 「これは本……いやカード?」  ハードカバーの分厚い辞書のような本を開くと、その中には見開き八枚のカードが収納されていた。  金属には見えないが、どのカードもシルバーに輝いている。  そんな本をパラパラめくっていると、真っ白の空間がチョコレートが上から溶けていくように、さっきまで居た路地に変化していく。  全くどうなっているか理解できないが、考えれば考えるほど、どつぼにはまるので考えない様にした。  これはこういう物なんだと自分に言い聞かせる。 「クロウ、これはなに?」 「ズィルバーカード。まぁ説明は後だ。まずは殺人天使の退治といこうぜ」  クロウはニヤリと笑うと、紫の天使を向かい合う。 「できれば契約する前に仕留めたかったんだけどねぇ。だけど、そんなド素人じゃアタシには勝てないよ!」  紫の天使が鎌を構えて向かってくる。 「剣のカードを出せ、そして復唱しろ、海翔! カードインストール<ソード>」  言われた通り、海翔は本から剣の描かれた銀色のカードを一枚取り出す。  そして聞き取った言葉通りに復唱する。 「か、カードインストール<ソード>!」  海翔がそう言うとカードは光の粒子となり消滅し、その代わりにクロウの右手に剣が出現した。 「悪くない。オラぁ!」  満足げに笑い、クロウも紫の天使の方へ向かっていく。  激しく金属同士がぶつかり合う。  しかし、何回かぶつかった後、クロウの剣は折れてしまう。 「おい、海翔.....!?」  クロウは必死の形相で海翔の方を振り返ったが、すぐにニヤリと口の端を吊り上げた。 「しゃあなしで、近くの奴を契約者に選んだがどうやらこいつは当たりらしいな」  海翔はクロウの剣が折れるのを確認すると、すぐに新しい剣を召喚していた。  状況を冷静に認識し、今すべき自分の役割を瞬時に理解し、迷わず実行に移す。  普通はこんな事できないが海翔はなぜか出来てしまっていた。  最も、この事は海翔自身が一番驚いていたのだが。  海翔は何となくだがこうすればいいと思った。  いや、どちらかというと知っていたっていう感覚の方がしっくりくる。 「おいおい、さっきまでの威勢はどうした!?」  気が付くと戦況はクロウへの追い風に変化していた。 「はぐれ天使を狩ってやろうと思ったのに、とんだ大誤算だ。今日は引かせてもらうよ」  紫の天使はさして悔しく無さげにそう言うと、背中に紫の翼を出現させた。 「はっ、怖気づいたのか? マカイズ」  クロウはここぞとばかりに挑発をする。 「あたしは引き時を誤らないだけだよ」  紫の天使――マカイズは余裕を含んだ笑みを残して、どこかへ飛んで行ってしまった。 「チッ、逃げやがったか。所でお前……」 「海翔。中川海翔だよ」  海翔が名前を言うと、クロウは言われるまでもなかったという表情をした。 「ああ、海翔。お前はこの俺に契約者として選ばれたんだ。感謝しろよ」 「あ、うん。でも僕は一体何に選ばれたの? 契約者って?」  こなれた感じで戦闘を潜り抜けた海翔ではあったが、実際何一つ分からないのだ。  正直今でも、さっきの事は全部映画の撮影だったのではないのか。  と思ってしまう自分がいる。 「あぁ? お前もしかして何にも知らねえのか。随分と落ちついてやがったから、前に誰かと契約してたのかと思ってたぜ」 「いや、全く。そもそも僕は一体何を契約したのかな」  海翔の言ったことがあまりにも予想外だったのかクロウは驚きの表情を浮かべた。 「お前本当に何にも知らないんだな。分かった、お前の拠点に案内しろ。そこで全部説明してやる」  なぜ、こいつはは全部上から目線なんだろうと少し思ったが、ここで文句を言っても仕方ないので素直に従う事にした。 「分かった、付いてきてクロウ」  普通、今会ったばかりの人を家に上げるのは少々抵抗があるものだが、まぁ仕方ないだろう。  改めて見ると、クロウの格好はその容姿も含めとても目立つ。  およそ、この世で作られたとは思えない服装に人間離れした美しすぎる容姿。  帰り道、それはもう、すれ違う人々に注目された。契約だのなんだのは構わないのだが変に注目されるのは勘弁して欲しいと海翔は思った。
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