気配

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「つまり、気配がすると?」 「……ええ、そうです。あの、つまらない話ですみません」 「いいえ。そんなことは」  微笑んでみせる。正直に言えばMさんの話には少々拍子抜けしてしまっていたのは事実だったが、せっかく遠いA市から足を運んでくれたのだから、無下にするわけにはいかない。それに、この手の話は、符合するとでも言えばいいのか、のちに何かの出来事とつながりその意味を成すこともある。 「すみません……気を遣っていただいて」 「……いえ」  Mさんはまた頭を軽く下げた。アイスコーヒーの氷はすっかり溶けているというのに、まだ一口も口にしてはいない。外の熱気よりはいくらか増しとはいえ、クーラーのついていない店内は蒸し暑く、水分を補給した先から蒸発していくみたいに喉が乾く。  熱中症になられても困るよな、とコーヒーを勧めると、Mさんは初めてコップが目の前に置かれているのに気づいたみたいにハッと顔を上げて、震える手でストローを触った。 「すみません」っと、言って。  これにはさすがに苦笑いを浮かべるしかなかった。幸いにもMさんは、ストローでコーヒーをかき混ぜるのに集中していてこちらの表情には気づいていないようだったが。 「人は、それぞれ得意な感覚器官があるそうですよ」  おそらく話はもう出尽くした。そろそろまとめていく頃合だろう。  Mさんの話は、こうだ。いつの頃からか定かではないが背中に気配を感じることがあったと。それは、睨みつけるような視線でもなくねっとりともたれかかるような重みでもなく、ただそこに「ある」というようなものだという。 「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。五感ですね。この五感のうち、得意な感覚で、人は、怪異を感じ取っていると言われることがあります」  何か干渉してくるわけでもないし、何らかの方法で存在をアピールするわけでもなく、ただいる。背中にそっと寄り添うように。 「ある人は目でそれを見ます。またある人は耳。目では見えないのだけど、声は聞こえると。嗅覚の話は、以前、線香の臭いを感じた人の話を聞いたことがあります。Mさんの場合は、触覚。肌感覚でなんとなく察知しているのかもしれませんね」  よくある話ではある。たいてい気のせいか、本当だとしても気がつけばいなくなっている類のもの。ただその気配は、日によって違うのだと、声を落としたのは気にはかかった。
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