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亜貴の新居、話で聞いてはいたが直生は訪れたことはなかった。かつての古びたワンルームアパートよりも格上げされたマンションは、どう見ても一人で暮らすには向いていない。築年数も浅いのか外観は綺麗でエレベーターまで付いていた。
「一人じゃ広くて持て余していたんだよ。長年ワンルームだったからな、慣れなくて」
「じゃあどうして引っ越したんだ?」
「それはまあ諸事情があってだな」
鍵を開けて重いドアを開けると亜貴は三ヶ月前に引っ越したと言うのに、いまだにダンボールが放置してある。
「直生、お前の部屋だよ」
家具もない空き部屋にはやはりこちらもダンボールが。フローリングに白い壁、多少残った塗装くささが気になった。
「こんな広い部屋に?」
「もっと広い部屋もあるぞ」
「……教師って、儲かるんだな」
こんなに広い家、亜貴はもしかしたら誰かとここで暮らそうとしていたのかもしれない。その辺の事情は直生がいくら聞いても亜貴は教えてくれなかった。
***
「何だこれ」
「弁当だよ」
引っ越しを終えた師走、直生と亜貴は同居を始めた。早朝出かけようとしていた亜貴に直生はお弁当箱を渡す。
「藤尾、学食は不味いって言ってたから」
「確かに不味いけど……何だ、お前料理なんてするのか?」
「別に、気まぐれだよ」
それは古書店にあった数冊のレシピ集から学んだもの。直生が自分では買わないと思っていた本数十冊退職金代わりだよと言われ閉店の際にもらってきた。
料理はしないわけじゃないが機会がなかっただけだ。バイトで調理の手伝いをしたこともある。せめて亜貴の家に置いてもらっている間は食事くらいは作ろうと、弁当を受け取った亜貴は礼を言って弁当を鞄にしまい玄関にかけてあった青いマフラーを巻く。
「師走って言う通り仕事忙しいからな、今夜は先寝てていいぞ」
「ああ」
「じゃ、行ってくる」
早朝、出かけた亜貴を見送って直生はため息。仕事もなくこの家で一日一人で過ごすのはどうしても時間を持て余してしまう。早々に仕事を見つけなければ……この家にいつまでもいるわけには行かないし。
簡単に家事を済ませて、直生は着替えて家を出た。とりあえず近隣に仕事を募集しているところはないかと探しながら、食材や雑貨を買いに出かける。住宅街を抜けた駅前にはショッピングモールがあった。大きなスーパーマーケットもあるし、年齢層も若い。この街は新婚生活にはぴったりだと、そう思い直生は改めて一刻も早く仕事を見つけて出ていかなければならないと思う。亜貴の人生に迷惑をかけたいわけじゃなかった。
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