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詩情
「休みが合わない」
「定休日の夕方とかでも良いだろ、せっかく二枚買ったのに」
「たかが映画に仕事をサボって行っても良いのか、藤尾」
「なに、仕事は完璧に終わらせてやるよ。俺、優秀なんだぜ」
亜貴が二枚の映画のチケットを持ってやって来た。世間では夏休みももう終わる頃のこと、未だ蝉は鳴き止まないが。
「誰の映画だって?」
「嵯峨野詩情! 嵯峨野詩情原作の善と黒、お前も読んだことくらいあるだろう」
それはかつて祐之介がくれた本に収録されていた。手放せずに未だに手元に置いてある、嵯峨野詩情の作品はあれから図書館や古本屋で全て揃えたほどに、直生の心に寄り添っていた。
「なんで今頃詩情なんだ、あんな古い作品を」
「古いからだよ、人は時に過去を振り返りたくなるものでな」
「本当は誰と一緒に行こうと思っていたんだ? ペアチケットだろう」
「あー……、それは内緒。でもお前とだって行きたいと思ったんだよ。だから誘ってんのに」
「振られたのか、あの紹介されたって言う信用金庫の」
「結構良いところまで行ってたんだけどなあ、残念。だからさ、憂さ晴らしに付き合ってくれよ、それにお前映画館行ったことないだろう?」
「……」
一瞬ムッとするがそれは直生にとって本当のことだった。生まれてから一度も行ったことのない映画館。憧れてはいたものの、縁がなく。
「余暇を充実させることも必要だよ、浸ってやろうぜたまにはさ」
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