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「僕のお母さん、どんな人だったの?」
「――キョウはとにかくうるさい奴だった」
「まあ、ひどい。あの堅物級長のトーマスがタジタジになるって話題だったのに」
父が顔をしかめると、マリーが軽やかに笑う。
単身で外国に留学するぐらいだ。かなり弁が立ち、学年でも成績は上位とくれば、なにかと目立つ。
級長をしていたトーマスは、仲裁を兼ねて話をする機会が多かった。どんなに嫌味を言われても笑顔でかわし、時には手玉にとって相手をやりこめる姿は、雄々しく感じるものだった。
以来、スクールでは広く留学生を受け入れるようになる。
それは、彼女が物怖じすることなく学園生活を送る姿を、教師陣が見ていたからだろう。
最上級生となり、留学生を多く見かけるようになったころ、キョウはトーマスに言ったのだという。
私だって怖くなかったわけじゃないわよ。でも、私が潰れちゃったら、後に続く人がいなくなっちゃう。それは嫌だった。
みんな背が高いし、最初は天使みたいに可愛いのにツクシみたいに成長して、同い年なのに年上みたいになっちゃうのよね。トムもおっさんくさくなったよね、すっごく可愛いかったのに。
でもまあ、今のトムも好きよ。将来はもっとダンディな男になるんでしょうね。
卒業後はどうするのかとトーマスが問うと、キョウは苦笑する。
寄宿学校というモラトリアムな空間ならばともかく、女性が単身海外で働いて暮らしていくには、きっとまだ難しい。
帰国せざるを得ないだろうと笑みを浮かべた彼女を衝動的に抱き寄せて、トーマスは「おまえの居場所はここにあるだろう」と囁いた。
寮の前に広がる緑の庭。
その片隅で、男は女に自分との未来を請うた。
あなたがいれば、どこだって住めば都よね。
いつものように母国の言葉を呟いて微笑むキョウに、トーマスは誓いの口づけを送った。
「おばあちゃんは、キョウに対してもいい態度ではなかった。彼女は、よく言っていたよ。トムのお母さんは本当に元気な『くそババア』ねって」
「くそババア?」
「キョウらしい言い草よね」
キッチンから戻ってきたマリーは、テーブルの上にジュースの入ったコップを置くと、膝の上に冊子を広げた。ユアンの目に飛びこんできたのは、古びた写真だ。
「学生時代の写真よ。帰ってきたら見せてあげようって思って、用意しておいたの」
見覚えのある校舎や園庭を背景に、子どもたちが写っている。
ページをめくり、そこでユアンは手を止めた。
「この人がキョウ。あなたのお母さん」
写真の下には「杏」と、ロゴのような形が手書きで記されている。
「キョウの国の文字よ。こんな形をしているらしいわ。これひとつでキョウって読むし『アン』とも読むんですって。不思議よね」
「アン?」
「おまえの名前は、そこからつけた。あの学校は、キョウがこの国で一番長く暮らした場所だ。だから、おまえにも見せてやりたかった。それが、おまえをあそこへやった理由だ」
でもまさか、寮まで俺と同じになるとは思わなかったけどな。
父が小さく笑う声を、ユアンはぼんやりと聞く。
色褪せた紙片の中でたったひとり、真っ黒い髪をして笑う少女。
それは、あの庭で出会い、魔女と名乗った女性に、よく似た顔をしていた。
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