五分王子

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 神奈俊(かんなしゅん)は駅の連絡通路にある、大型ディスプレイの真ん中に陣取ってから自分の携帯をひらいた。携帯の時計表示は午前九時五十五分。毎週日曜日のこの時間に、俊はここにやってくる。  恋人である彩名(あやな)からの、『あと五分でつくよ』というSNSのコメントを眺めながら…死んでしまった彼女のことをこの五分間に想うのだ。  今日はどんな服装だろう。どんな格好でも彼女には似合うはずだ。  彩名は改札を抜けたら、いつも子供みたいに手を振って俊を大声で呼ぶのだが、あれは恥ずかしいからやめて欲しい。  そうだ、映画を見たあとは海にでよう。ちょっと歩くけれど、彼女となら苦にならない。  この五分。  彼女が遺してくれた五分が、俊をあの日に戻してくれる。  俊だってわかっているのだ。どんなに繰り返してもあの日には返れない  たとえ時間をあの時に戻せたとしても、たった五分だけでなにができる。満員列車の中、逃げ場もない彼女に。  「それこそ映画だよなぁ」  自分が女々しい自覚はある。  友人は運がなかったと言う。親は間が悪かったと言う。向こうの親はこれがあの子の運命だったのだと言う。  すべて正しいのだろう。あの事故は、俊にも彩名にもどうしようもないものだった。  俊だって彩名がいなくなった翌週からこんなことを始めたわけではない。  彩名がいなくなってからも飯を食い、学校に行って、帰宅した。当たり前の日常だけが過ぎる。  それはいい。しかたがない。しかし、納得できないものも心の中にあった。  なにかをしたかった。今更できることはない(・・・・・・・・)とわかっていながら、できること(・・・・・)をしたかった。彩名がいたころの人生がぷつりとなくなって、彩名がいないこれからの人生が当然として続くことが、たまらなく許せなくて、苦しかった。  五分間の待ち合わせ。こんな無意味なことを始めたのは一か月前からだ。  なんとはなしにこの駅に立ち寄って、それがたまたま十時前だった。いつもの調子でディスプレイの下に立ち、彩名と待ち合わせの時刻にやってくる十時の列車を待つ。  その五分間は、俊にとって幸せだった。  まるで彩名が生きていた頃のように、彼女が現れることを想像する時間。  夢のような五分だった。  だから、俊は今も十時五分前にこの場所にやってくる。これがいつまで続くのかは俊にもわからない。多分いつかは終わるのだろう…彩名のことにきりをつける日がいつかはくる。けれど今はまだ。  駅内に、放送が流れる。  今日は十時の列車が遅れているらしい。一か月の間にこういう日もたまにあった。こんな時、俊は一応十時まで待ってから帰る。  夢の時間は五分だけ。まるで超速のシンデレラだと思って、それを自分に当てはめるありえなさに苦笑した。  そういえば、あの駅員は自分を五分王子と呼んでいた。正直ダサいと思うが、案外的確な表現かもしれない。    「お姫様は永遠に来ないけど」  携帯の時計が十時を映す。改札上の電光掲示板には列車が五分遅れる表示。  さて帰るか、と俊はいつものように背中を丸めて歩き出そうとして、その肩を叩かれた。  「帰るのかい?」    背後に立っていたのは、いつもの駅員だ。見た目は冴えないおっさんだが、その仕事ぶりはいつも正確に見えた。  「十時の列車は五分遅れるそうだ」  「知っていますよ。だから帰ります」  「五分、遅れて来るだけなのに?」  駅員は困ったように頬を掻いた。なにが言いたいのかわからず、俊は出口に向けていた体を駅員に向け直す。  「きみの彼女も言っているじゃないか。――あと五分でつくって」  そうだ、彩名からの最後の言葉だ。  「あと五分遅れて来るだけなのに、きみは帰ってしまうのかい?」  俊は眉を歪めた。五分遅れて来るだけ、あと、五分。  確かに彩名は『あと五分』と遺したけれど、今日の列車は五分遅れて来るけれど。  「もう五分、夢をみないか?」  俊は、馬鹿馬鹿しいと思った。そんなものは屁理屈だ。彩名からのコメントには当時の時刻もちゃんと残っていて、それは九時五十五分を示している。  だからあと五分でつくと言うのは遅れて来ると言う意味じゃなくて。だから。  「彼女の列車がやってくるよ」    目頭が熱くなって、気が付いたらぼろぼろ涙が零れていた。こんな人目のある場所で…無理やり泣き声を抑えれば変な呻きが出るばかり。  ――やってくる。  十時の列車が、あと五分でやってくる。そしたら彩名が改札をぬけてきて、手を振り俊を呼ぶのだ。  もう五分だけ、この夢を延長することは許されるだろうか。    「待ち、ます」  駅員は俊の肩を二度叩いて、それから少し気まずそうに口を開いた。  「それと、きみに頼みごとがあるんだが」  なんだろう、と顔を袖でぬぐいながら俊は首を傾げた。  「実は、きみがいつも着てるブランド、息子が好きなんだよ。  時間がある時にでも、そのブランドについて教えてほしい」  ブランド好きの性で、俊はぴんときた。  「あ、その息子さんと喧嘩中でしょ」  「わかるものなのか…」  「どうせ子供にそんな高いものは不相応だとか、頭ごなしに怒ったんでしょ。  いいっすよ、俺結構詳しいんで。息子さんの機嫌が取れるぐらい最高のやつ 教えてあげます。でもって、このブランドがどれだけいいもんか、駅員さんもちゃんと知るべきだね」  駅員は空笑いしながら「ちょっと違うけど、まあいっか」と言った。  自分たちはただの駅員と学生だが、なにやら彼がぐっと近しい人に思えた。  じゃあ仕事中だから、と戻る駅員の背中を見送ると、俊は静かに目を閉じる。  今日はいい日だ。そう思う。だって今日の列車は遅れてくる。  あと五分。五分間の夢をみる。
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