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この戦闘で、虎姫様は、太腿と肩に新政府軍の銃弾で負傷していたのでありました!!
そして、旧幕府軍は、陣形を立て直す為、一旦淀城に戻って行くが、淀藩は開門を拒否したのである。
しかも、山崎に布陣していた津藩も新政府軍に寝返ったのでありました!!
いずれも朝敵となることを恐れた為の行動である。
旧幕府軍は、一時大阪城に退却していた会津藩兵と桑名藩兵らも次の機会に備えていた。
負傷していた虎姫様は、6日の夜に密かに大阪城を抜け出す手はずであった。
其れに、病状が悪化していた徳川家望も軍艦海陽丸に二人を乗せて江戸へと、、、
8日には、江戸への帰途についていたのでありました。
護衛隊数十人は、虎姫様と一緒に海洋丸に乗り込んでいた。
虎姫様の手当てしながら、、護衛隊たちは心配でならない、、、
残りの遊撃隊は、会津藩主松平容保の指示に従うように言ってあった。
虎姫様は、8日には伝令を走らせる。
200人の遊撃隊に撤退命令が出たのであります。
大阪湾に停めて置いた軍艦で細川藩領内に戻って行ったのでありました。
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