バラの庭

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この窓からは校庭が見えた。楽しそうにサッカーをしている男子生徒や、ベンチでお弁当を食べている女の子たちが見える。 「あ」 加納くんが僕を見た。 「あ、いや、職員室出たところでバラが凄くてビックリしてさ。あれってここの生徒が育ててるんでしょ?」 「バラ?ああ、なんかあるな、そう言えば。女子が騒いでたわ。もう咲いてんだ?」 「うん、咲いてた。なんか高校らしくない、立派な庭だったよ」 「へー?あんま俺ら、あっち通んねぇからな」 と島田くんが言うと、加納くんは頷いた。そもそも花に興味が無い風情だ。 校庭からはなおもはしゃぐ声が聞こえている。もう、島田くんも加納くんもバラのことなんか頭にないだろう。ほぼ無意識にサッカーボールの行方を追っているふたりの後ろで、僕はバラの庭を思い出していた。 でもそれは今日見た、あの風景、ではなかった。引っ越す前の、僕の家の庭だ。母が育てたバラの花が色香を放って威風堂々と咲き誇っていた。 父と母、それから2つ年上の姉。4人で笑っていたあの庭。 ありありと浮かぶ風景を、かぶりを振って追い払う。あれは幻になった幸せだ。 「なあなあ、転校生」 呼ばれて振り返ると、背の高いひょろりとした男が立っていた。 「えーっと、なんだっけ?芹沢、だっけ?」 「あ、うん、芹沢です。えっと…」 「俺?俺、伊東一(イトウハジメ)。よろしくな。伊東って呼んでくれ」 「よろしく」 伊東はにこにこしながら、立ち去ろうとする。と、後ろにいた男が「ばか」と小声で一喝した。 「あ、わりわり!俺、委員長してんだわ、このクラスの。んで、選択授業をさ決めて欲しくて」 「選択授業?」 「おう。美術、音楽、書道から好きなのひとつ選んでくれ。週に一回、金曜日の6限目がそれになるからさ」 「なるほど…」 自慢じゃないがどれも特段、得意ではない。もっと言うなら、興味もないが必修科目なら選ばざる得ない。 悩んだ顔をしていると伊東は言った。 「どれでもいい感じ?」 「うん、まあ…」 「じゃあ美術にしろよ」 「美術?」 「ここだけの話な?」 伊東はぐっと僕の耳元に顔を寄せた。 「可愛いんだよ、先生が」 島田くんも加納くんも大きく頷いている。僕は苦笑いしながら、伊東から受けとった申込用紙に「美術」と書いて渡した。
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