もう二度と触れられない

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もう二度と触れられない

    同棲していた恋人の浮気が発覚した。嘘や誤魔化しが下手なくせに、必死で隠し通そうとしているところが妙に滑稽で、それなのに笑うことさえできない。 「俺、都心の方に転勤になったんだ」  そうやって切り出したのが、昨晩のこと。都心の方に異動になったのは、嘘ではない。ただ、転勤は半年後の予定で、まだ引っ越す必要はなかった。  しかし、嘘が下手な恋人とは違って、取り繕うのがいやにうまい自覚がある俺は、その時も完璧な表情と態度で本当らしく振る舞った。 「そうか。突然だな」  恋人は悲しそうな顔をしようとしているのだろうが、焦りの感情が色濃く出ている。きっと俺が、転勤先について来てくれないかと言うとでも思っているに違いない。  実際に自分の口から出たのは、それとは真逆の台詞だったのだが。 「だからさ、俺たちもう別れようか」 「え?」  恋人が驚く気配を感じながら、俺は玄関先に向かう。そこには、気付かれないようにして用意していた少ない荷物がある。 「残りの荷物は、処分しておいて。じゃあな。元気で」 「ちょっ」  恋人が引き留めようとして伸ばした手を擦り抜け、素早くドアを後ろ手に閉めた。ドアを叩いてくれることを期待したが、しんと静まり返っていて、溜息をつく。 一歩を踏み出したところで、ズボンのポケットが振動した。取り出すと、元恋人となった男からの、たった一言のメッセージだった。 「ごめん。今までありがとう」  どうしてかそれを見た途端、一気に涙腺が緩んだ。今戻れば、まだ間に合うはずだと訴える自分の声がする。  でも、この冷たいドアの向こう側の空間には、もう二度と入ることはできない。元恋人に触れることもできないのと同じように。
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