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「総代が総代でないって聞いた時、実は私、内心嬉しかったんです。だって、あなたは魁然総代と結婚しなくてもいいから。私にも、チャンスがあるかもしれないから……」
沙羅は顔を上げると、その大きな目からこぼれ落ちる涙を拭いもせず、まっすぐに享也を見つめる。
「あなたと一緒にいられないなんて、考えられないんです。私は、あなたと一緒にいたい。それがあとわずかなんだとしたら、なおさら……」
突然、沙羅の言葉は途絶えた。
亨也の唇が、沙羅の唇をふさいだのだ。
亨也は唇を合わせながら、沙羅の体をきつく抱き締めた。はじめは驚いたように目を見はっていた沙羅も、やがて静かにその目を閉じると、亨也の背にその細い腕をそっと添える。
そのまましばらくの間、二人は唇を重ねていた。
やがてゆっくりと、亨也が唇を離した。沙羅はその頬をバラ色に染め、半ばぼうぜんと亨也の顔を見つめている。
「ありがとう、沙羅くん」
亨也はそう言うと、何を思い出したのか、くすっと笑った。
「私が高校受験に失敗して私立に進学した時、君はもっとハイレベルの高校に合格していたにも関わらず、私と同じ私立に進学してきたよね」
静かに語り出した亨也の口元を、沙羅は黙って見つめた。
「私はあの時、実を言うと君のことはあまりよく思っていなかった。多分、嫉妬していたんだと思う。あえてレベルの低いあの高校に来た君を、物好き程度にしか思っていなかった」
亨也は愛おしむようなまなざしで、自分を見上げている沙羅の大きな目を見つめ返す。
「でもそれから、君は何かにつけて私に挑戦してきたよね。学内テストで一位を取るとか、模試で全国百番以内に入るとか……。君にのせられていろいろやっているうちに、不思議と勉強が面白くなって。私はある意味君のおかげで、浪人もせず医大に合格できたんだ」
すると沙羅は、恥ずかしそうに目線を落としてくすっと笑った。
「それなのに、私の方が医大落ちちゃって……総代とのできの違いを見せつけられましたね」
亨也は頭を振ると、頬に浮かんでいた笑みを収めた。
「私は将来結婚相手が決まっている身だったから、あえて自分の気持ちには目をつむってきた。でも、その縛りが解けた今だから、言うよ」
沙羅も顔を上げ、瞬ぎもせず亨也を見つめる。
亨也は沙羅の視線を受け止めながら、静かに口を開いた。
「私も、君のことがずっと好きだった」
沙羅は息をのむと、瞬きも呼吸も忘れ果てて、自分に注がれている亨也の温かなまなざしを全身で受け止めた。
「多分、あの高校に通っていたころから、ずっと……。君はいつでも私の側にいたから、何だか君といるのが当たり前になってしまって、あまりそうは感じなかったかもしれないけど。私的には君がいないと、何だか物寂しくて」
少しだけ恥ずかしそうに笑うと、亨也は沙羅を優しく見つめた。大きな二重の目いっぱいにたまった涙をぽろぽろとこぼしながら、沙羅も亨也を見つめ返す。
亨也はそっと手を伸ばすと、震える沙羅を優しく抱き寄せた。
「君には死んでほしくない」
沙羅の体の温かみを体全体で感じながら、亨也は思いを込めてささやきかける。だが沙羅は、亨也の胸から顔を上げると、決然と首を振った。
「あなたがいない世界なんて、生きていても意味がない」
驚いたように見つめ返す亨也に、沙羅は泣き笑いのような表情でほほ笑んで見せた。
「一緒にいさせてください。最期まで、ずっと……」
何を言いかけたのか、享也の唇が震えながら開きかける。だが、言葉が紡ぎ出される前に、その唇は沙羅の唇によってふさがれた。
ソファに倒れ込んだ二人の影が、薄暗い間接照明の光に照らされて白い壁に揺らぎながら映し出される。ゆっくりとうごめくその影と、微かな吐息だけが、部屋の空気にわずかな変化を与えていた。
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