最終章

8/19
前へ
/658ページ
次へ
 十時頃まで、四人は何やかんや楽しく話をして過ごしていたのだが、さすがにみどりも疲れた様子が見え始めたので、寺崎は奥のダブルベッドにみどりを移動させた。 「こっちのベッドに、おふくろと先輩が寝て。俺たちはあっちの和室に布団を敷くから。間に扉があるから、大丈夫っすよね」 「全然構わない。みどりさんが一緒なら安心だもん」  玲璃はそう言って笑うと、みどりにあいさつをして電気を消し、静かに仕切りの扉を閉めた。 「でもまあ、おふくろが寝るならあんま大きな声も出せねえしな……表に出ようか」 「ちょっと外でも散歩するか? ここ、お庭が奇麗だし」 「そだな、行こっか」  すると、そんな二人を黙って見つめていた紺野が、おもむろに口を開いた。 「すみません。僕も寝ていいですか?」  それを聞いた寺崎は、思わずぷっと吹き出した。 「何? おまえ、相変わらず早く寝てんの?」 「さすがに八時ではないですけど。十時には寝てますね。大体」  「マジで? ホントおまえって面白いやつだな。いいよ、じゃ、二人で行こっか」 「そうだな。じゃ、おやすみ、紺野」  玲璃は振り返り、笑顔で手を振る。紺野は一瞬、何とも言えない表情を浮かべたが、やがて小さく頭を下げると「お休みなさい」と答えた。  寺崎と玲璃が連れだって部屋の外に出、扉の閉まる音が低く響く。  紺野は何を考えているのか、しばらくの間、部屋の真ん中に立ち尽くしていたが、ややあって、気を取り直したように自分と寺崎の布団を敷き始めた。    ☆☆☆  中庭では、ついさっきまで夜店が出されてにぎやかな雰囲気だったが、子どもたちの姿もまばらになり、店も片付けを始めているようだった。  玲璃と寺崎はそんな夜店を横目で見やりながら、静かな裏庭の方へゆっくりと歩いていく。  裏庭は人気もなく、微かな虫の声だけが通奏低音さながらに響いていた。 「それにしても、マジで箱根に来られたんだな、俺たち。よかったよな……全部、丸く収まって」  寺崎がしみじみとつぶやくと、隣を歩いていた玲璃もうなずいた。 「本当に。こんなに丸く収まるなんて、あの時は思ってもみなかった」 「玲は大学受験できることにもなったし」  寺崎の言葉に、玲璃は笑顔を見せた。 「そうだな。これからは自分の思う通りに人生を決められると思うと、本当に嬉しいし、信じられない。少し、怖いくらいだ」  寺崎は深々とうなずいた。 「……俺も、マジで嬉しいし、信じられない」  そう言うと、寺崎は隣を歩く玲璃を横目でちらりと見やる。  まばたきとともに上下する長いまつ毛と、白い耳を覆う柔らかそうな産毛。うつむき加減の白い首筋に、まとめ上げた髪の後れ毛がはらりとかかる。庭を照らすライトに浮かび上がる玲璃の浴衣姿は、なんとも艶やかで色っぽい。  と、玲璃も寺崎の視線に気づいて、足を止めた。首を巡らせて寺崎を振り仰ぐと、大きな瞳でまっすぐに見つめる。  玲璃は、やがて恥ずかしそうに笑うと、つややかな唇の隙間からこんな言葉をもらした。 「ほんとうに、嬉しい」  長いまつ毛を伏せて、ささやく。 「おまえと、一緒にいられるのが」  寺崎は、あんな力が隠されているとは到底思えないその細い体を、両腕でしっかりと抱き締めた。  寺崎の胸に顔を埋めながら、玲璃は幸せなため息をもらした。  感情に突き動かされるまま、寺崎は玲璃を抱きしめる手に力を込める。  言葉は必要なかった。鼓動を感じ合い、体温を伝え合い、呼吸さえ重ね合わせながら、やがてどちらともなく視線を交わし、どちらともなく目を閉じて、そっと互いの唇を触れ合わせる。  葉擦れの音と、かすかな虫の声と、温かく湿った夏の夜の空気が、そんな二人を優しく包んでいた。
/658ページ

最初のコメントを投稿しよう!

47人が本棚に入れています
本棚に追加