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寺崎は、ひとことひとこと、かみしめるように言葉を発した。
「おまえは、紺野秀明なんだ」
自分をまじろぎもせず見つめる紺野に小さく笑いかけると、穏やかな、それでいて確信に満ちた口調で言葉を継ぐ。
「これから行く先で会う人は、おまえの過去を何も知らない。おまえはようやく過去から解放されるんだ。東順也……もとい神代順也は、十六年前に死んだ。おまえは紺野秀明だ。紺野美咲さんが命がけで産んでくれた……だから、生きろ。紺野秀明として、美咲さんに恥じない人生を生きるんだ。わかったな」
紺野は、凍り付いたように寺崎を見つめていた。
何を言おうとしたのか、わずかにその唇が震える。だが、言葉は喉の奥で固まってしまって出てこない。紺野は諦めたように口を閉じると、その長いまつ毛を伏せてうつむいた。
寺崎は苦笑すると、うつむいた紺野の頭を、いつものように遠慮会釈もなくぐしゃぐしゃとなで回した。
「俺は絶対、玲を幸せにする」
寺崎はみどりの目の前で、初めて玲璃のことを「玲」と呼んだ。みどりも、そして玲璃も、驚いたように寺崎を見る。
「おまえに負けねえくらい、おまえのことなんか思い出す間もねえくらい、幸せにする。だから安心しろ」
ボサボサの頭の紺野は、うつむいていた顔を上げると、ようやく少しだけ笑みを浮かべた。
「よろしくお願いします」
「ああ。任せとけ」
寺崎はにっと笑って親指を立てて見せた。
「……紺野」
そこで初めて、玲璃が遠慮がちに口を開いた。
「本当にすまない。おまえ一人に、いつも責任を負わせるような形になって……」
「とんでもないです」
紺野は大きく首を横に振ると、笑った。
「僕はある意味、自分のためにこの道を選んだんです。あなたが責任を感じることは何もない。何も気にせず大手を振って、寺崎さんと幸せになってください」
そう言って、視点をどこか遠くに移す。
「そうなることを、裕子もきっと望んでいるはずです」
「……分かった。約束する」
玲璃はうなずくと、涙を腕で拭い、泣き笑いのような表情を浮かべた。
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