最終章

17/19
前へ
/658ページ
次へ
 寺崎は、ひとことひとこと、かみしめるように言葉を発した。 「おまえは、紺野秀明なんだ」  自分をまじろぎもせず見つめる紺野に小さく笑いかけると、穏やかな、それでいて確信に満ちた口調で言葉を継ぐ。 「これから行く先で会う人は、おまえの過去を何も知らない。おまえはようやく過去から解放されるんだ。東順也……もとい神代順也は、十六年前に死んだ。おまえは紺野秀明だ。紺野美咲さんが命がけで産んでくれた……だから、生きろ。紺野秀明として、美咲さんに恥じない人生を生きるんだ。わかったな」  紺野は、凍り付いたように寺崎を見つめていた。  何を言おうとしたのか、わずかにその唇が震える。だが、言葉は喉の奥で固まってしまって出てこない。紺野は諦めたように口を閉じると、その長いまつ毛を伏せてうつむいた。  寺崎は苦笑すると、うつむいた紺野の頭を、いつものように遠慮会釈もなくぐしゃぐしゃとなで回した。 「俺は絶対、玲を幸せにする」  寺崎はみどりの目の前で、初めて玲璃のことを「玲」と呼んだ。みどりも、そして玲璃も、驚いたように寺崎を見る。 「おまえに負けねえくらい、おまえのことなんか思い出す間もねえくらい、幸せにする。だから安心しろ」  ボサボサの頭の紺野は、うつむいていた顔を上げると、ようやく少しだけ笑みを浮かべた。 「よろしくお願いします」 「ああ。任せとけ」  寺崎はにっと笑って親指を立てて見せた。 「……紺野」  そこで初めて、玲璃が遠慮がちに口を開いた。 「本当にすまない。おまえ一人に、いつも責任を負わせるような形になって……」 「とんでもないです」  紺野は大きく首を横に振ると、笑った。 「僕はある意味、自分のためにこの道を選んだんです。あなたが責任を感じることは何もない。何も気にせず大手を振って、寺崎さんと幸せになってください」  そう言って、視点をどこか遠くに移す。 「そうなることを、裕子もきっと望んでいるはずです」 「……分かった。約束する」  玲璃はうなずくと、涙を腕で拭い、泣き笑いのような表情を浮かべた。
/658ページ

最初のコメントを投稿しよう!

47人が本棚に入れています
本棚に追加