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Blunder
あんなふうに、人前で泣いたのはかなり久しぶりだった。普段は別に行為中に抱き締められたってどうってことないのだが。あの男の腕にいると、なにか不思議に安心する心地がした。
それだからモテるんだな。
人知れずくすりと笑っては、1ヶ月も経った今となっては少なくとも週4ペースでヤるようになった俺たちを嘲る。
あのあと日を改めていざヤってみれば、案の定彼は相当巧かった。それはキスは勿論前戯や挿入に至ってまでほぼ完璧と言えるほどだ。俺が過去にシた人物の中でも一二を争うほどの腕前。寧ろっていうか普通に感動した。
♪♪~
LINEの通知音。
『今日暇ー?』
噂をすればなんとやら、彼からである。しかし生憎、今日は予定がある。
「ごめん、今日は無理」そう送ると、10秒も経たないうちに『おっけー』と返信がくる。
それにひとつ頷いて、ある人物に電話を掛ける。きっちり2コールで電話は取られた。
『はい、一条です』
「はいはい、俺です。今どこ?ちょっと今から車出してほしいんだけど」
『今本家の方におりますのですぐに伺います』
「わかった、じゃあ場所は送るから。また後で」
『畏まりました、では宜しくお願い致します』
「ん、こちらこそ」
『では、失礼致します』
「はーい」
電話を切る。一条に位置情報を送ると、15分で向かいます、との返信。彼は約束は必ず守る男だから、本当に1秒の誤差なく15分ピッタリで来るのだろう。まったく信じられん。...だって本家って...
15分後、果たして彼は本当に15分ピッタリで来た。あのあと実はスマホのタイマーで計っていたのだが、15分終了のアラームが鳴り響いたと思ったら彼は既に目の前にいた。
...いっそ末恐ろしい。
その癖これまた律儀に「お待たせしました」なんて言うものだから、15分ピッタリでここまで来たやつが何言ってんだ、ここお前がいたとこから本来30分はかかるはずだろと内心思った。
車に乗り込みながらどうやって半分もタイムを縮めたのか聞いてみると、内緒ですとそれはもうすっばらしい笑顔で言われたので、俺は恐ろしくてあぁ...うん...くらいにしか言えなかった。
「一条、お前タイムのこともそうだけど毎度毎度よく俺の気分わかるよね」
後部座席の上質なシートに背を預け、脚を組みながらそう呟いた。
そう、俺は自分で乗るときは勿論、誰かに迎えに来てもらう際にも車の車種は自分で決める。それは完全に気分によるものなのだが、思い通りの車でないと機嫌が悪くなってしまうのは自覚している。
そして、これをいちいち言わなくても察してくれる唯一の運転手がこの一条優利(いちじょうゆうり)だ。
彼は俺の専属運転手兼俺の側近兼秘書で、俺でもこいつを超えるほど優秀な人間には出逢ったことがない。因みに今日はアストンマーティンのDB9 ヴォランテ。所有車の中でもお気に入りで、使用頻度も結構高い。
「それはそうです、何年の付き合いだとお思いですか」
「ふふっ、俺が21だから今年で12年になるか。懐かしいねぇ」
俺たちが出逢ったのは、9歳で、小学3年生のとき。俺もなんとか学校には行けていて、身元などはやろうと思えば幾らでも誤魔化せた。何しろ俺はそのときから今の事業を始めていて、既に資産は1億を超えていたからだ。それでもどうにもならないときは、甲斐先生が親代わりになってどうにかしてくれた。そして金に権力は付き物。そのおかげで学校側にしてみれば、俺は謎も謎、出来れば敵にはしたくない、そんな存在だったのだ。そのため何にも言及はしてこず、なぜかあちらが俺に対して敬語だった。勿論人目につくところではそんなことはなかったが。クラスでも俺は普通にしていたし、一体感のあるクラスだったからいじめやカーストなんかもなかった。
だけどこの頃には俺の夜遊びが全盛期を迎えており、関与も参加もさせなかったものの、そのことはメンバーの皆にだけは周知の事実であった。
一条は転校生で、クラスから少し浮いていたのを俺たちが拾ったのだった。
「ええ、よくメンバーの皆さんも交えて遊んだものです」
「うん、あの時は本当に楽しかった」
昔のことを思い出して頬を緩める。昔はこんな風に敬語を遣われることもなく、対等だったのに。こういう関係になったのは、あの事件が起きてからだった。
「...今は、楽しくありませんか?」
相変わらず真意の見えない質問をする。それに苦笑を返して曖昧に濁す。ミラーでちらりと俺を覗きこんだきり、こいつは賢いから、それ以上追求してくることはない。俺もそれを分かっていてそうした。
「...何にしろ、今の貴方は苦しんでいるように見えます。まるで...」
飢えているような。彼はそう言った。何に、だなんて無粋なことを聞く気はなかった。
曇ってきた空に、鼻からため息を抜く。
「...もう沢山だな」
__つらいのも、苦しいのも、悲しいのも、全部。
「......ええ」
俺の独白なのに、どうしてか一条まで哀しそうに見えた。
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