私の三世諸仏。

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ここはどこ?あ、私、疲れて入院したんだった。 まだまだ20代の華々しい時期にこれか。 私の名前は・・・桃樹野々葉だ。 自分の名前も思いだせないなんて。 そういえば、夜中に病院の避雷針に、雷が、ドカンと落ちたのを覚えている。 あ、お守り持って来るの忘れた。 最近になってやっとはじめた、神棚での、ごあいさつ。神様は、やって来てくれるのか。 日本人で有る限り、人にはアマテラスの分け御霊や、氏神が存在する。人を育てもするが、殺しもする。 審判の様な存在か。 でも、私は信じていた。一年前に読んだ古事記の畏怖心と心暖まる話を思い出す。 いつか、きっと神様と仲良く出来る、お話をすることができるんだ。と、信じていた。 昔、幼稚園の頃読んだ話は、学研出版の仏教の話か、寓話ばかりだ。神様は、怖くて、仏様は、優しい。と心のどこかで思っていた。はたちを越えた今でも、その私の中の信仰心は破られていない。 こわいのは、神様が高い位置におらるからだ。何でもお見通しで、千里眼か万か、億かわからないけれど、凄く厳しい眼力で人々を見通す力があり、天災を起こすことも知っている。そうあるべき姿が自然だから。 だけど、ある霊感の強いオカルトから離れた優しい霊媒師の本を入院前に7冊も買った。 信憑性があるし、父によると、神道の国文学者だということが判明し、パラパラと読んでも、怖くない。そんな印象があったから。 右翼でも、なさそうだし。 仏も神も一心同体な頃、神仏習合の時代、いざこざなくすんだ。私はなぜ、神と仏が別れたかも知らずに、生きている。 香川県にある、琴平大権現いわゆる、金比羅さんは、全国の人々に親しまれている。中でも、こんぴら犬の話は、涙が出る程好きだ。病で倒れた人、また、貧困の家庭は、犬の首輪に銭を入れ、船に乗り、歩かせたとか。遠い遠い道のりを、よく、歩いてくれたと感動するばかりだ。 その、こんぴらさんに、神仏習合の痕跡を発見した。 御神体は大物主の命。世間一般に言われる大物とは、ここから来ているらしい。なぜ、大物かというと、神あり月に、出雲に遅れて来て、大物と云われたからであるらしいが。カッコいいですね。神様がたから慕われ、愛されるのは、本当に神様にとって、幸せであるから、満足だ。 なぜ、神様の話から導入したかといいますと、一番話すのに、てっとり早いからだ。 私に霊感があり、悪いものではないのだが。 霊媒体質だということも知らない周りに何だか気の毒な気がした。 なぜなら、やられたからだ。 中学生の頃は、反抗期がなく、霊感少女だった私は、今は見る影もないが、まさに霊媒師だった。 頭をやられ、周りは脳の神経を引きちぎり、酷いったらない、と思う。大物だけに、痛かった。 痛い思い出に涙が出る。なぜ、自分でなければならなかったのか、その頃の私には分からないのだった。
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