ひまわりの花言葉

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「変わってないな、ここも」  じゃり、とスニーカーが土とこすれる。  通っていた小学校の近く、人気のまったくない工場跡地(あとち)。そこは俺たちにとって格好(かっこう)の遊び場だった。ある時は疲れることも知らずに走り回り、ある時は携帯ゲーム機を持ち寄って対戦し。そして、  小学6年生の夏休み、ここにタイムカプセルを()めた。 「たしかこのあたりだったよな」  敷地(しきち)(はし)に生えた桜の木の方を向く。埋めた場所はたぶん、あそこだ。  10年も経てば当然、いろいろと記憶も(うす)れてしまっている。タイムカプセルの中身だって、何を入れようか話をしたのは覚えているが、実際に何を入れたかはさっぱり忘れてしまった。それだけ月日が経過したということなんだろう。  だが、敷地内の様相(ようそう)は10年前と驚くほどなにも変わっていなかった。()びて()げ茶色になった入口の門に、不思議と雑草の生い茂っていない地面。  そんな置いてけぼりをくらったみたいに時間が止まった場所にいると、俺まであの時に戻ってしまったように感じる。  敷地の中には、俺を(のぞ)いて誰もいない。  夏の蒸し暑い空気が()でるのは、俺の身体だけだった。  思えば、いつもそうだった。遊ぶ約束をするときも、一緒に登校するときも。待ち合わせ場所にやってくるのは俺の方が早い。  だが、それも昔の話。  誰かが遅れてやってくることは、もうない。  彼女は――ひなたは、もういない。  あの日、タイムカプセルを埋める1週間前に事故に()い、この世を去った―― 「ふー、やっぱり暑いなあ」  はずなのに。 「……え?」  目を疑った。  夏の暑さが生み出した、陽炎(かげろう)が見せる幻かとも思った。  視界に(とら)えたのは――女の子。  彼女は、入口の門のそばに立っていた。  さらさらの黒髪は昔よりも伸びて、肩甲骨(けんこうこつ)のあたりまで。  けれど、あの時と同じ、真っ白なワンピースに身を包んでいた。  俺は思わず目をこする。がしがしと、痛いくらいに。  けれど見えるものは変わらない。  そこには。  10年前に死んでしまった女の子が、一緒にタイムカプセルを埋めようと約束をした女の子が、俺と同じように歳を取った姿でいたのだ。 「ひなた……?」 「……変わらないね、ここも」  ひっそりとほほ笑む。  だが、その笑みは俺の方を向いてはいない。俺の声も、存在も、彼女には届いてはいないようだった。 「なあ、ひなた……なんだよな?」  声をかける。だが、こちらを見向きもしない。まるで、住んでいる次元が、まるっきり違うみたいに。  まさか……幽霊?  22歳にもなって、まさかそんな子どもじみた可能性を浮かべることになるなんて。  だが、目の前の光景に納得しようとすると、そんなものしか出てこない。  ……未練(みれん)があって、やって来たって……ことなのか?  仮に本当に幽霊だったとして、幽霊が現世に現れる理由は大方そんなところだ。  そして未練があるとすれば、 「……タイムカプセル、一緒に埋められなかったこと、か?」  わざわざここに現れるということは、つまりはそういうことなんだろう。10年という月日を経てもなお、ひなたの思いは生き続けていたのだ。  大事なものを入れて、一緒に埋めようと約束した。けれど、それは叶わなかった。彼女はそれを、()いている。  だったら、俺にできるのはただひとつ。 「……待ってろよ」  ひなたにはきっと聞こえないだろうが、言う。 「今、掘り出してやるから」  彷徨(さまよ)う彼女の魂を、未練から解放してやるために。  それが今の俺にできる、唯一の供養(くよう)。  が。 「えーっと、たしかこのあたりかな」 「え……?」  俺はまたしても、目を見張った。  ひなたは迷いのまったくない足取りで、桜の木まで歩いていき、その場にしゃがんだ。  そして、手に持ったビニール袋から小さなシャベルを取り出すと、地面を()り始めたのだ。  彼女は――ひなたは、その場所を知らないはずなのに。  たしかにひなたとは、タイムカプセルを埋める約束をした。だけど、場所は俺が考えていただけで、話していないはず。  タイムカプセルを埋める前にこの世を去った彼女は、その場所を知るはずがないのだ。  なのに、知っている。そして、タイムカプセルを掘りだそうとしている。  じゃあこの子は――いったい誰なんだ? 「よいしょっと」  俺が呆気(あっけ)にとられている間に、女の子は土の中から小さな金属製の缶を取り出していた。  見覚えのあるそれは、10年も土の中にいたせいか、錆びついている。だが、(まぎ)れもなく、俺たちが埋めようと話したものだ。言い出したのが俺なんだから、見間違えるはずがない。 「……」  女の子は缶を見つめ、無言のまま目を細める。  そして――大事そうに抱えると、入口の門に向かって歩き出した。 「あっ! ちょ、おい!」  だが、やっぱり俺の声は届かないみたいで、女の子は敷地を出ていく。 「くそっ」  (あわ)てて追いかけて道路へ出る。白のワンピースと、黒髪がふわりと揺れている。  後ろ姿は、成長したひなたそのもの。  だが、謎が多すぎる。  どうして死んだはずのあいつが成長した姿でいる?  どうしてタイムカプセルを埋めた場所を知っている?  だが、考えても答えは出ない。  ……とりあえず、後をつけるしか、ないか。  アイツが一体何者なのか、突き止めないと。  仮に幽霊だったとしても、彼女は本当にひなたなのか?  もし、ひなたでないとしたら。  俺には彼女の正体を(あば)き、タイムカプセルを取り返す義務(ぎむ)がある。  ひなたのためにも。  前を歩く女の子は、迷いのない足取りで歩いていく。  俺は黙って、彼女と数メートルの距離をあけて歩く。  川沿いの国道。かつてサッカーチームが練習をしていた河川(かせん)(じき)は、草が生い茂り、その面影(おもかげ)はない。  開かずの踏切(ふみきり)。何台もの車が列を成していた。が、すでに電車は高架化(こうかか)され、踏切自体がなくなっている。  住宅街の中の道。家屋(かおく)のほとんどは建て替わっている。唯一変わっていないのは、小さな電器屋さんだけ。 『――ウィルスの事後対応について、政府は――』 『延期後の――オリンピックの日程をめぐって――』  店頭のテレビから流れてくるニュースは、どこか別世界のもののように感じる。  いや、ニュースだけじゃない。  この町は、世界は、何もかもが変わっているんだ。  10年前から。  そうして彼女の後を歩くこと20分。  到着したのは――  墓地だった。 「あ……」  (せみ)の声は遠い。吹き抜ける風は、やけに涼しい。  まるでここだけが、夏じゃないみたいに。この世じゃないみたいに。  そして。  彼女が立っている前の墓石には、  俺の名字が刻まれていた。  そうか。  そうだったのか。  死んだのは――俺の方だったのか。  現実が、油のようにじんわりとしみ込んでくる。 「久しぶり、たっくん」  女の子が、墓石に向かって言う。俺のあだ名を、口にする。  刹那(せつな)、記憶が、(よみがえ)る。  脳内の神経細胞がチカチカと光って。  そうだ。  あの日、事故に遭ったのはひなたじゃなくて、俺だった。  轢かれそうになっていたひなたを突き飛ばし、俺が身代わりになった。  それだけのことだ。 「あれから、10年だね」  ひなたは言う。 「今日は、持ってきたよ、タイムカプセル。今日、取り出そうって約束、してたもんね」  墓石の前に、錆びついた缶を置く。  手を合わせる彼女の姿を見て、さっきまで渦巻(うずま)いていた謎は一気に解かれていく。  どうして死んだはずのあいつが成長した姿でいる?  当たり前だ。この世界を生き続けていのは、ひなたなんだから。  どうしてタイムカプセルを埋めた場所を知っている?  当たり前だ。あれを埋めたのは他の誰でもなく、ひなた自身なんだから。  未練があったのは、俺なのだ。  だが―― 「……ま、俺もこれでめでたく成仏、かな」  自分が死んだという事実にさっき気づいたばかりだけど、俺が(いだ)いていた未練はたった今、ひなたによって解消された。 「ありがとな、ひなた」  きっと伝わらないだろうけど、最大限の感謝をこめて、そこにいる彼女に向かってつぶやく。  と。 「どうして……」  声が、聞こえた。 「どうして……置いてっちゃうの……」  墓石の前でかがむひなたの身体は、小さく震えている。 「…………!」  それは、嗚咽(おえつ)。  それは、悲痛な叫び。  それは――悲嘆(ひたん)悔恨(かいこん)。  嗚呼(ああ)。  俺はなんて、自分勝手な奴なんだ。  タイムカプセルを埋めようと言い出し、その約束を果たせないまま、先に逝って。  自分は未練があるからと、勝手に現世を彷徨って。  ひとりタイムカプセルを埋めて――10年待って、掘り出して。俺の元まで持ってきてくれたひなたに。  ありがとう、だなんて。  自分のことを、思いきり(なぐ)りたくなった。 「ひなた……」  ごめん、と言いたかった。  涙をふいてあげたかった。  抱きしめてあげたかった。  だけど、それは(かな)わない。  俺は現世の人間じゃなく。  ひなたは今を生きている。  俺が彼女にしてやれることは、なにもない――  ――と、俺は自分のポケットに何かが入っているのに気づいた。 「これ……」  瞬間、俺はもうひとつのことを思い出す。  俺がタイムカプセルに入れようとしていたもの。  そうだ。  未練があった、だけじゃない。  俺は、ひなたに――。  ポケットから取り出したものを、一度だけぎゅっと握ると、そっと彼女の目の前に置いた。 「え……?」  俺の手から離れたそれは、認識されるようになったのだろう、ひなたは声を上げる。 「これ……」  それは――ひまわりの種。  そしてつぶやく。 「誕生日、おめでとう。ひなた」  8月2日。  タイムカプセルを埋めようと約束したその日は、ひなたの誕生日だ。  そして今日。  ひなたは――大切な人は、22回目の誕生日を迎えた。 「…………うっ」  俺はひなたに、この思いを伝えようとして、これをタイムカプセルに入れようとしていたんだ。  大切な女の子の、誕生花の、その種を。 「たっくん……うう……」  再び、嗚咽が聞こえる。だけどさっきよりも、悲しみに満ちたものじゃない。 「ひなた……ありがとう。それから、ごめん」  彼女の頭を、そっと撫でる。  俺はこれを伝えるために、精いっぱいの愛を伝えるために、今日まで待っていたんだ。  あなただけを、見つめています。
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