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4.月がきれいですねとあなたは言わない
『今、円の会社の近くにいて直帰予定なんだけど、もうすぐ仕事終わりだろ? なんか食って帰る?』
わたしと黎は外で会うことはほとんどなくて、たまに黎でなければならない特別な用事、例えば女の一人暮らしには大変な重い買い物とか、重い買い物とか重い買い物とかの必要なときは外で約束する。そのついでに食事をして帰ったことはある。
もっとも、わたしもそんな重い買い物ばかりしないから、つまりほとんどない。
そんなめったにないお誘いが、よりによって今日だなんて。
他に予定のない日は山ほどあるのに、今日に限って先約があるなんて。
『ごめん。今日はデートの約束があって』
別に、隠すつもりもその必要もない。
妬かせるという安い駆け引きをしていたのは過去の話。当てつけでもない。そういうことで動じないのはもうわかってるから。
たとえば相手がただの普通の男友達ならどうやって返していたかなと小考した結果、ごくごくシンプルでありのままを伝える体になった。
『マジか。がんばれ』
すぐに届いた返信にも、喜びも落胆もなかった。
きっと本気で応援してくれてるからタチが悪い。
わたしはいつもより少しオシャレをして、待ち合わせの場所に向かった。
相手はさっちとタカシの結婚式で声をかけてくれたKさんだ。
Kさんなんて仮名にする必要はないんだけど、まだわたしの人生の登場人物かどうかはわからないから彼に名前はつけないでおく。
Kさんが予約してくれた和食のお店は、御出汁の味が上品で、一品一品が丁寧に作られていて、それはとても美味しかった。
食べる事を大事にできる人、そして同じものをおいしいと感じる人のポイントは高い。
趣味が同じで盛り上がるということはなかったけれど、Kさんの世界にわたしは素直に興味を持てたし、Kさんも興味を持ってわたしの話を聞いてくれたと思う。
お店を出て歩いていると、Kさんがふと、月がきれいだと言って足を止めた。
確かに、少しびっくりするくらいに、白くて明るい月夜だった。
わたし達はしばらくの間、夜空を見上げた。
Kさんは、『星を観たりするの、結構好きなんです』と言った。
ダメな点を数えたくならない人は久しぶりだった。
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