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後日、わたしは失った機会を取り戻すことにした。
あさましい想いからではなくて、本当にそろそろご飯を作りに行くタイミングかなと思ったからで、それならばと。
黎は日勤とはいえ、昼も夜もない仕事だから躊躇われて、普段電話をかけることはない。
『どうした?』
黎はやや慌てた様子で電話に出た。
「いや、ごめん。なんでもないんだけど」
『あー、そうなの? なんかあったかと思った』
「ごめんごめん。今ちょっと時間いける?」
『おう、いけるぞ』
「この前、ごはんおごるって言ってくれたののやり直し、どうかなって」
『おごるとは言ってないな』
確かに言ってないけど。
『けどまあ、いつもメシ世話になってるし、俺がごちそうすんのが筋だな。けどいいのか?』
「何が」
『デートはどうなったんだ』
「どうもなってないけど」
黎は明日なら時間が取れると言うので、翌日、いつもとは違う繁華街の駅で約束をした。
待ち合わせの時間に遅れることなくやってきた黎は、非番だったらしい。
お店を予約してくれていたのでわたしは少し驚いた。
そういうことができる男だったのかと。
一品一品が安めの、小汚いともオシャレともつかない上海料理のお店だった。
飾り気のない小皿に、お料理が少しずつ載って、それがいくつも運ばれてくる。小籠包が二つ。餃子も二つ。手羽先も上海ガニも角煮も全部二つずつ。
「デートはどうなった?」
「だからどうもなってないって」
「どうもなってないのかよ」
「でも、どうかなるかもしれない予感はある」
何度も言うけど、別にこの発言は駆け引きでも当てつけでもなんでもない。
ただの現状報告だ。
「そうか」
「あれだよ。さっちたちの結婚式で会った人」
会話が変に進まなくなってしまったので、Kさんについて言わなくてもいいことを二、三、言う羽目になった。
「タカシの同僚だって。二次会で話して」「Y大学なんだって」「実家は関西の方らしい」
「わたしは黎と違って絶対結婚したくないわけじゃないから。ご縁がないだけで、出会いがあればいくらでも考えるし」
なんでだろう。わたしは無駄におしゃべりになっていた。
「でもそうなるとさすがに黎にゴハン作りに行ったりはできないね」
「そりゃそうだろ」
黎との接点はあくまでも家ごはんであり、外食する機会もデートらしいこともない。
待ち合わせて飲みに行ったりすることもなくて、水族館とか映画とか桜がきれいだねとか、そういうかんたんな目的を持って出かけることもないに等しい。
もちろん、星も月も見たことはない。
一度だけ、黎の部屋から花火を見たくらい。それも偶然、たまたま、その夜に窓の先に見えただけ。
わたしの趣味がガラス彫刻であることも行きつけのバーがあることも、きっと黎は知らない。
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