1-2 屋敷の主、エレオノーラ・レインブラッド

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1-2 屋敷の主、エレオノーラ・レインブラッド

 中庭に人影が見えた。ガーデンチェアに腰掛けた小柄な背中がわずかに揺れる。 「おや、こんな夜にお客さんかい?」  そう言ってこちらを振り向いたのは、緋色の瞳をした少女だった。年齢は10代前半くらいに見えるが、その振る舞いは完成された淑女のように美しく、底知れないものを感じさせる。  腰まで垂れる銀色の髪が、月明かりで光を放つ。緋色の瞳が妖しく輝いた。  思わず見とれてしまい、はっと我に帰る。 「すみません。この辺りで薬草を集めている者なのですが、道に迷ってしまって……。もしよろしければ、今夜一晩泊めてくれませんか?」  突拍子もない頼みにも少女は落ち着きを払った様子で答える。 「構わないよ。部屋ならいくらでもあるからね」  少女は立ち上がると、屋敷へと足を進める。ついてこいということらしい。  近づいてみると、改めて豪華な屋敷だと思った。こんな山奥にあるというのに、まるでどこかの大貴族の邸宅のようだ。本物の貴族の屋敷を見たことはないが、まさしくこんな感じなのだろうと思わされる。  茫然と眺めていたテルミットを、少女が呼び止める。 「キミ、どうかしたのかい?」 「ああ、いえ、すごく立派なお屋敷だなぁと思いまして」  少女がふふん、と誇らしげに薄い胸を張る。 「お褒めに預り光栄だ。こんな山奥にあるものだから、滅多に人が来なくてね。せっかく立派な屋敷を作ったというのに、自慢する相手が居なくて張り合いがなかったんだ。内装もこだわり抜いて作られているから、存分に見ていくといい」 「ありがとうございます!」  正面の扉をくぐると、少女の言った通り豪華な作りとなっていた。ロビーの天井に輝くシャンデリアが辺りを煌々と照らし、廊下には彫像や絵画が飾られている。おそらく、テルミットが一生働いてもこの屋敷の絵画一つ買えないだろう。  全体的に豪華な作りになっているものの、決して押し付けがましさがあるわけでもなく、ただそこにあるべくしてあるといった様子で、屋敷の主の趣味の良さがよくわかる。  テルミットが目を輝かせて辺りを見舞わすのを、満足げな様子で眺める少女。 「おっと、そういえば、まだ自己紹介をしていなかったね」  少女がテルミットに向き直る。緋色の瞳がテルミットを見上げる。 「ボクの名はエレオノーラ・レインブラッド。気軽にエレナと呼んでくれ」  エレナの自己紹介に、慌ててテルミットも名前を名乗る。 「僕はテルミットって言います。えっと、よろしくお願いします」  子供を見守るような眼差しでエレナが微笑んだ。 「テルミットか……。いい名前だね。それじゃあ、キミのことはテルと呼ばせてもらおう」 「はい、エレナさん!」  食堂とおぼしき部屋に案内されると、適当な席に座るように促された。  調理場では、エレナが鍋を火にかける様子が見えた。 「今温めるから、少し待っていたまえ」 「いやいや、そんな悪いですよ! 食べ物なら、たくさん採った薬草がありますから」 「それじゃあお腹が膨れないだろう。なぁに、客人をもてなすのも、屋敷の主の役目だからね。遠慮することはない。存分に食べたまえ」  でも、と言おうとしたところで、テルミットのお腹が盛大に返事をした。  慌てて言い訳をしようとするも、にこりと生暖かい目を向けられる。 「あ、ありがとうございます……」  これ以上、何を言っても恥の上塗りにしかならないと思い、テルミットはおとなしく待つことにした。  しばらくすると、 「待たせたね」  エレナが皿を運んできた。  テルミットの前に並べられたのは、鶏肉の入った温かいスープとライ麦パン。蒸したイモ。  今日一日何も口にしていなかったからか、香りを嗅いだだけで口の中が唾液で溢れる。  かぶりつきたい欲求をこらえ、いただきます、と呟く。  口いっぱいにパンを頬張り、スープをすする。スープの旨味がさらに唾液を促し、イモを口に詰め込む。 「そんなに焦って食べると危ないよ」  次の瞬間、喉にイモがつまり、噎せるテルミット。  エレナから差し出された水を含み、一息。 「すみません」 「気にすることはない。そんなに美味しそうに食べて貰えると、こちらも用意した甲斐があるというものさ」  夢中で頬張るテルミットを見て、エレナはフフフと笑った 「まだまだあるから、遠慮せず食べていきたまえ。なに、料理は逃げていきやしないからね」 「す、すみません」  急に恥ずかしくなり、テルミットが俯く。  テルミットが食事を続けていると、ふとエレナが立ち上がった。 「お風呂の用意をしてくるよ。用意が出来たら知らせに来るから」 「ありがとうございます」  食事を終え、しばらくするとエレナが戻ってきた。今度は素直に厚意に甘えることにする。  服を脱ぎ、浴室に入ると、その大きさに圧倒された。  軽く20人は入れそうな立派な浴槽。これが個人の屋敷にあるものだというのか。まるで大衆浴場ではないか。  身体を洗い、恐る恐る湯船につかると、ほっと一息。 「エレナさん、いい人だなぁ」  泊めてくれるだけでなく、食事に風呂まで。至れり尽くせりとはこのことだ。  会ったばかりの、見ず知らずの人間のために、ここまでしてくれるなんて。テルミットは静かに感激していた。 「それにしても、なんでこんな山奥に一人で住んでいるんだろ」  近くの町まで行こうにも、山の中を相当歩かなくては行き着くことはできない。ちょっとした買い出しさえ一苦労のはずだ。  さらに、これだけ広い屋敷にもかかわらず、使用人の姿は見えない。エレナ一人で管理しているように見えたが、あの高貴ささえ漂う姿に、どうにも違和感を覚えてしまう。  エレナが掃除や洗濯をするところを想像するも、どうも似合わない。どちらかと言えば、家事をするより、紅茶を嗜む姿の方が余程しっくりくる。  何だってこんな山奥に、一人で暮らしているというのだろうか。  用意された自室に戻り、尚も考えてみるも、答えはわからない。  やがて好奇心が疲労に押し潰され、テルミットは眠りについた。 
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