ひと夏の幕開け

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 遅い梅雨明けの夏だった。  分厚い灰色の雲の上で誰よりも待ち焦がれていた太陽が、白い浮き雲をかき分けて、漸く惜しみなく活躍している青い昼空のその日差しを、未だにカーテンが遮る薄暗い部屋があった。  先程から5分間隔で部屋中に音楽が鳴り響いている。枕元のスマートフォンの画面に指だけ添えて、夢現のままアラームと格闘している。あと5分の攻防が何度も繰り返され、目を開けることなく人差し指だけでかなり正確に画面のスヌーズボタンを押せるようになっていたが、漸く諦めたように陽人はベッドから体を起こし、アラームの停止ボタンを押し、5分毎の戦いの終止符を打った。 「…あっぃて……」  陽人は頭を押さえながら、頭が痛いと呟こうとして、あまりの暑さに途中で口の中で言葉が迷子になった。カーテンの隙間からでも、すでに日が高く昇っているであろうことが窺え、朝の5時にタイマー設定されたクーラーの疾うに消えた部屋は、自然な夏の屋内は斯くあるべきと嫌でも思い出させる。寝起きの気怠さで頭はまだ冴えないが、我慢ならない暑さから、重い体をひきずって立ち上がった。こうして陽人のもとにも遅れて“朝”がやってきた。  リビングに降りると、誰もいなかった。平日の昼過ぎである。大学生の陽人だけが、家族の中で生活リズムが顕著にずれていた。家族はもう何時間も前に家を出ていることを、冷気の消えた蒸し暑い部屋が証明している。  陽人にとってそれは好都合であった。母親に昨日の帰りが遅かったことも、昼過ぎまで寝ていたことも、咎められずに済むのは、鈍い頭痛の走る身には有難い。首から目の奥にかけて、疲れの蓄積がそのまま石になって居座っているかのように重い。  クーラーのリモコンを操作し、無音だった家の中に風の音ばかりすれど、すぐには部屋は冷えない。冷蔵庫から取り出した水を飲むと、冷たい液体が、火照った体の中を通り落ちていくのがはっきりと感じられた。眠っている間に体中の水分が抜けてしまったようだ。まだ水の残るペットボトルを額に当てると、ずきずきと締め付けられているような頭痛がそこだけ消えてしまったかのように気持ち良い。お陰でだんだんと思考がクリアになってきた。  とりあえずシャワー浴びるか、と陽人は未だ冷えぬリビングを離れた。
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