都橋探偵事情『蝙蝠』

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都橋探偵事情『蝙蝠』

 楕円の廊下に弔問客が列している。せり出した廊下の下は川だが流れはない。川は赤く濁って異臭を放っている。弔問客の列は都橋側の階段まで繋がっている。そのほとんどが扇子なり団扇を仰いでいる。暑さで我慢出来ずにネクタイを緩める。平成十四年八月十七日。よりによって終戦記念日に亡くなり昨夜通夜で今日が告別式。故人の名は岡林育三郎、喪主は二女の岡林日出子。故人はこの都橋商店街で長く結婚相談所を経営していた。店を閉めたのはずっと前である。昭和五十年の桜が咲く頃、もう三十年近い。戦後すぐに始めた結婚相談所は表向きで売春の斡旋業が本業である。戦争未亡人の多くが登録していた。売春を通じて所帯を持った夫婦も多くいた。その夫婦がこの廊下に並んでいる弔問客のほとんどを占める。 「凄い列だな、先輩、日出子ママのお父さんて何をしていた人なの?」  所長に言われて葬儀の手伝いをしている中井正弘、通称マーロウは同じく手伝いをしている片山智也、調査員名林義男に尋ねた。二人共この都橋商店街の宮川橋側階段から上がった二軒目で営業している都橋興信所の調査員である。所長が興信所をここに開いた昭和四十年、色々と世話になったのが故人の岡林である。 「あまり詳しいことは訊いていないが結婚相談所の主人だったらしい」 「と言うことは仲人みたいなもんだ、並んでいる人はみんな日出子ママのお父さんが仲人なんだ。偉い人ですね、人と人を結ぶ懸け橋になった人」  中井は勝手に想像して感心している。 「お疲れ様です」  片山が弔問客に記帳を促した。間口は狭く焼香は一人ずつである。さっと終わらせる客だけならいいが、故人に語り掛ける客もいる。 「岡林所長、ありがとうございました。あっしは所長のお陰で女房と知り合うことが出来ました。あっしはねえ」  読経中の坊主がちらと後ろを振り返り舌打ちをした。一人の焼香で五分も掛かっていては時間オーバーである。  
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