最後の仕事

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 パソコンの時計を見る。定時まであと5分。いつもは慌ただしく流れるオフィスの時間がゆっくりとカウントダウンを始める。 隣に座る、この同期と会社で過ごすのもあと5分。 「渡辺」 「うん?」 俺は隣を見る。 「あと、5分」 腕時計をこちらに示しながら、同期の林が言う。顔がにやけている。 「勝手にカウントダウン始めるなよ」 「だって、面白いじゃん」 「人の気も知らないで」 俺の気も知らないで、時間は刻々と過ぎていく。 「今時、寿退社なんて」 パソコンを見たまま俺はつぶやく。 「仕方なくない?仕事続けられるわけないでしょ」 林もまたこちらを見ずに答える。 「普通は逆だろ」 「まあいいじゃない。そっちの方が会社に迷惑もかからないし」 「そういう問題かよ」 静かに、カウントダウンは進む。 同期で、同じ部署に配属されて3年。 営業成績トップの林と、たいした成果も出せていない俺。どちらが辞めるべきかは、誰しも分かる。 パソコン越しに、オフィスを眺める。みんな、定時なんて関係なく忙しそうに動いている。その中の一人、総務課長がこちらを一瞬見た。 「あ、課長、こっち見てる」 林も気づいたようだ。 「そろそろ時間かな」 林がおもむろに立ち上がる。 「立つ鳥跡を濁さず、だね」 俺も立ち上がったところで、課長とまた目が合った。頷いてから、課長がこっちに向かって手招きをする。 「じゃ、行ってくる」 オフィスの中央に向かって歩き出す。みんなその場で仕事の手を止めて、歩く姿を見送っている。 「ええ、みなさん。お忙しいところすみません。退職のご挨拶がございます。では、営業部の」 課長がそう言ったところで、俺は一つ息を吐く。 「渡辺さん、お願いします」 「はい」 俺は最後の挨拶を始める。 「辞めるのは、林さんではなく私です。彼女の方が優秀なので、会社のことを考えて、私が寿退社することにしました。3年間お世話になりました」 頭を下げる。戸惑いが感じられるみんなの拍手に送られて、席へと戻る。 「お疲れ、渡辺」 「それさ、もう名字で呼び合わなくてもよくね?会社にバレること心配しなくていいんだし」 「もういまさら無理だよ」 「だって、もう二人とも渡辺なんだぞ」 「まあ、追々考えようよ」 そんな会話をしていたら、いつの間にかカウントダウンは過ぎ、定時のチャイムが鳴った。 俺のこの会社での人生最後の5分は、こうして終わった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!