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もう一人の女神
「おじさん、おばさん。今日はこれで失礼します」
「ああ。明日もしっかりお願いね」
「はい!」
少女は今日の作業を終え、叔父夫妻と別れて自宅に戻った。
木造の小さい小屋だったが、少女一人暮らすには十分で、本人もこの慎ましい生活は気に入っていた。
「女神様、今日も一日お守りいただきありがとうございました」
少女はひざまずき、天に向かって祈りを捧げた。
これが彼女の日課であった。
都会では寂れた慣習だったが、彼女の村では一日無事に過ごせたことを神に感謝してから眠りにつく。
しかし、その日は異変が起こった。
「ここは……」
目覚めると知らない場所だった。
深い霧に包まれた森。少し先も見えない。
「夢の中……?」
この辺りの森は歩き尽くしていて、同じような景色に見えても、だいたいどこにいるのか見当がつくようになっている。
見覚えないのない森となれば、彼女の頭が勝手に作り出した想像上の森なのだろう。
しばらく歩いてみたが、自宅や村の家々もなければ、人一人とも会えなかった。
「誰か! 誰かいませんか!?」
呼びかけてみるが答えはなく、森はひっそり静まりかえったままだ。
「ルナ」
自分の名を呼ばれたような気がした。
「誰!? どこいるの!?」
辺りを見回し、走り回ってみるが誰もいない。
「ルナ」
また呼ばれた。
彼女は不思議に思った。彼女をその名で呼ぶ者はすでにこの世にいないのだ。
「お父さん!? お母さん!? どこなの!?」
愛称で呼ぶのは両親だけ。村のみんなは、彼女をルチアーナと呼んでいた。
ルチアーナは闇雲に走った。
「さあおいで」
「こっちよ」
それは男女の声のように聞こえた。
(間違いない……)
ルチアーナは確信する。
両親の声を忘れるわけがないのだ。疑うことなく、声のしたほうへ走る。
「ここだぞ」
「いらっしゃい」
この先だ。この先に両親がいる。
枝をかき分け、低木の間をすり抜けて奥へと進む。
「お父さん! お母さん!」
しかし、ルチアーナの知っている人物はいなかった。
大人の女性が一人。
森へ迷い込んでしまったのだろうか。あまりにも場違いな、真っ白なドレスを着ている。
ドレスは光で編まれているのかと思うほど、キラキラと輝いていた。
「綺麗……」
都会の人はこんなに綺麗な服を着るのだろうかと、ルチアーナはつい見とれてしまう。
しかし、そんな場合ではない。気を取り直して尋ねる。
「あの、お父さんとお母さんを知りませんか? この辺りにいたと思うのですが」
ルチアーナの両親は昨年、魔物によって殺されていた。
夢の中とはいえ、両親に会えることはルチアーナにとってどんなに嬉しいことか。もしもう一度会えるならば、両親に言いたいことがあった。
「王を探しなさい」
「え?」
それは鳥が鳴くような、とても美しい声だった。その内容は聞き取れないはずがなかった。
「王、ですか……?」
王は魔物によって王都が陥落してから、生死は不明だと言われている。
「魔物が支配するこの世を救えるのは。王しかありません」
「しかし、王は……」
「今は大変小さな存在ですが、やがて己の使命に気づき、大業を成し遂げます。それまで、あなたが王を支えるのです」
「いったい何を言っているのですか……?」
女性はルチアーナの言葉にはいっさい応えない。ルチアーナは戸惑うばかりだった。
「王都へ。そこに答えがあります」
「王都……」
王都はルチアーナの住む村から数百キロは離れている。
「あなたにしかできないことをなしなさい」
「私にしかできないこと……。あなたはもしかして……!?」
女性から強い光が放たれ、目を開けていられなくなる。
彼女の背には光り輝く大きな翼が生え、ゆっくり空へ浮かび上がっていく。
「女神様!」
「ルナ、この世界の運命をあなたに託します」
「お待ちください、女神様! 父と母は!?」
しかし女神は光に包まれ、天へと消えていってしまった。
「待って! 教えてください! どうして二人は死ななければいけなかったのですか!?」
アンリはウルリカに滞在していた。
ここはドロテアの住む村であり、連合軍が駐留していなかったので、身寄りがなく、軍などの組織に属していないアンリにとって都合がよかった。
連合軍の指令部は王都にあるが、ダークエルフのブリタ、スティーグ姉弟が連絡役として王都にいる。何かあれば早馬を飛ばしてくれるだろう。魔神なら空を飛んで半日で王都に戻ることができる。
しかし、最近は軍事行動が行われておらず、アンリが必要とされる場面はまるでなく、姉弟からも特に連絡が来ていない。
放っておかれるのも嫌な気がしたが、自分から飛び出して独立勢力として動くことにした以上、アンリは受け入れるしかなかった。
また、それは平和だという意味でもあり、平和のために戦うと決意したアンリにとって、喜ばしいことでもあった。実際、ドロテアの弟たちとの暮らしは楽しく、夏休みに、田舎のいとこと遊ぶような感覚だった。
「アンリ姉ちゃん、今日は何して遊ぶー?」
「ダーメ! 遊ぶのは勉強してからだって言ったでしょ!」
異世界において、戦いがなければすることがなく、アンリはドロテアの弟たちに混じって勉強をしていた。まるで外国に留学した気分だった。読み書きやこの世界の常識を学ぶのはワクワクして楽しかった。
異世界人の会話は自然と出来ていたが、それは魔法による補助があるようだった。同じ人間であるから、言葉が通じなくとも、ある程度の内容は理解できるものだ。足りない部分を魔法が変換して感じたり、通じさせたりする。
しかし、文字はそうもいかず、学ばないと全然読めなかったのだ。もしかすると、意識して魔法を行使すれば文字を読んだり書けたりするのかもしれないが。
今、この村の学校が機能しておらず、ドロテアが村の子供たちを教えていた。メリエルも何か役に立ちたいと思ったようで、野外活動に長けていたこともあり、ボーイスカウトのようなことをしていた。
「女神様、お手紙が届いています」
「手紙?」
アンリはドロテアから一通の封筒を受け取る。
「誰だろ?」
この世界に知り合いは数えるほどしかいない。
封筒には差出人が書いていない。宛名は「ウルリカ村 女神」とざっくり書いてある。
「これで届くんだ……」
アンリは苦笑する。
「えっと、なになに……」
文字はかなり汚かった。覚えたての知識でなんとか読もうとする。
「女神よ、君の噂は聞いている。ぜひ君と会って話がしたい。きっと実りのある時間になるだろう……?」
「恋文か?」
メリエルが半ばからかうような調子で言う。
「それはないでしょ……」
この世界に来てから好かれることがほとんどないのだ。それに、思い当たる人は誰もいなかった。
「差出人は誰なんですか?」
少し不機嫌そうなドロテア。
「んっと……エミール?」
「エミール……ってもしかして」
「知ってるの?」
「はい。有名な貴族なんですが、すごく変わった人で……」
「変わってる? どんな?」
「人がすごく嫌いらしくて、王都を離れ人里離れた山奥に住んでるらしいんです。一人屋敷に籠もって、悪魔や魔法の研究をしてるって噂です」
「悪魔……」
アンリは悪魔の研究と聞いて、四天王の一人・アフラマズドが作った魔装が一番に思いついた。
「ということは、魔神に興味があるということか」
メリエルが言う。
「そうかもしれない……」
アンリは少し考えてから言った。
「会ってみよう。そのエミールって人に」
魔神のような存在は一つだけだと思っていたが、この世には何体も存在することが分かった。少しでもその情報が欲しいところなのだ。
「ダメですよ! 危険です!」
反射的にドロテアが反対する。
「悪魔の研究なんて普通じゃありません! 何されるか分かったものじゃありませんよ!」
ドロテアの言うことも分かる。魔神に興味があるなら、それを動かすアンリも研究対象だろう。捕まっていろいろ調べられたりするかもしれない。
「でも、何か情報が得られるかもしれないんだ。私は会ってみると価値があると思う」
ドロテアは不満げな顔をするが、アンリに逆らうつもりはないので、口をつぐんでしまう。
「メリエルはどう思う?」
「あたしに聞かれても困るが……。アンリが行くなら同行する。守るのがあたしの役目だ」
「私もです! 女神様について行きます!」
メリエルに後れを取るまいと、ドロテアも賛同に回ってくれた。
アンリはやれやれという感じで苦笑するが、これはいつものことだ。
「魔神で飛んでいこう。それなら安全なはず」
相手はただの人間なので脅威にはならないが、もしかすると、魔装との戦いになるかも知れない。用心することに越したことはなかった。
久しぶりの行動にちょっと浮かれているように、アリンは自分で感じていた。平和も好きだが、みんなと冒険するのはワクワクするのである。
この三人ならどんなことでも乗り越えられる。なんだってやり遂げられる。アンリはそう確信している。
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