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2 人間になった猫
「クロ、起きなさい。もう起きないと間に合わないわよっ」
預言者の声が近くにあって体を揺さぶれている。私はいつの間に眠ってしまっていたんだろう。寝ぼけ眼で伸びをしようと前足を伸ばそうとした。
……あれ? 毛がない。肉球もない。スベスベの人間の手だ! 足もツルツルで、体を掻けない。掻こうとすると、筋や腱に限界が来て激痛が走る。頭が重い。この黒い髪の毛のせいだ。しかも前後に長すぎる。よく耐えられるな。夏が来たら地獄だろ。
「実験は大成功ね。さっすがあたし、東洋一の魔女~♪」
「ヤダ、昔の女子バレーボールの異名じゃない。歳がバレるわぁ~♪」
おばさんふたりがキャッキャすんな。というか私、全裸なんですけど。いや、猫のときなら普通なんだけど、こっちは今人間なんですけど。服ぐらい着させてもらいたい気持ちでいっぱいなんだけど。
「話してごらん。話そうと思えば、ネイティブ且つペラッペラに話したい言葉が日本語で出てくるわよ。言語習得の特訓とか今日日(きょうび)流行らないし」
私の気持ちを汲み取った魔女が、自分の口の辺りでグーとパーを繰り返している。
「ふ、服を……くれ……いや、よ、用意して……!」
「用意して? 惜しい! とても惜しい! いやぁ、何か足りない気がして、用意できないわー」
腹立つ。幸い、ツメが少し長めだから、思いっきり引っ掻いてやりたかった。でも、ここは我慢する場面だ。怒りを押し込めつつ、
「……用意して、ください」
「そうよぉ。目上の人には、敬語を使わなきゃ。人間界では常識よ♪」
魔法使いが人差し指を2、3度振る。すると、未知の感触が全身に駆け巡った。肌色の面積が消え、服の素材のむず痒さで一気に裸に戻りたくなる。
「服を着ることは人間界では当たり前。裸になるのは、家で風呂に入るときや好きな人の前だけね」
「あらやだ~、も~」
またイチャイチャしだす……!
「そのくだりはもういいから。なんとかならないの?」
「もういいの? 一生一度の感触なのに!?」
「こんなことしている場合じゃないからね」
魔法使いは仕方ねーなーといった態度で、猫から人間に変わってしまったことによるあらゆる不具合や、不一致感を払拭してくれた。魔法使いはなんにでも変身するから、様々な動物の気持ちや特色がわかる。まさに痒い所に手が届く。こういうときは頼りになるな。
私はようやく立ち上がって人間らしく伸びをする。尻尾がない違和感がすごい。人間はよく尻尾無しで二足歩行できるもんだ、と感心してしまう。
腕を広げ、足を開き、自分の服を改めて見定める。ジャケットもインナーもパンツも靴下も全部黒。名前がクロだからか? ただまあ、窮屈な感じはしない。動きやすいストレッチ素材でよかった。
「……なんでスーツなの?」
「人間換算すると、アンタはかなり背が高いのよ。人間の男の平均より少し高いぐらいかしら。本当はゴスロリを着せたかったんだけど、通報されても困るからね」
「ちょっと待った。ゴスロリって何?」
預言者がタブレットを操作し、見せてくる。
「無理無理無理無理無理」
条件反射で否定してしまう。フリフリのドレスとてもかわいい服だとは思う。でも、私なんかがこれは着ちゃいけないし、本能的に似合わないなと思ってしまった。スカートなんて穿きたくないし。
「ちなみに上下の下着も黒よ♡」
魔法使いが付け足してくる。
「安直すぎない?」
「だけどね、1か所だけ黒にできなかったのよ」
聞いてないわこのオバサン。
「その素敵なゴールドの眼。北欧の人みたいで、惚れ惚れしちゃう♡ ま、時代と国が違えば処刑されてたけどねぇ」
「しょ、処刑!?」
「日本ではそんなことないから大丈夫よ。あくまで近くの国の話。アンタが嫌って言うんなら、黒のコンタクトもあるけど?」
あまり会話に参加せず、近くで写真を撮ったりカメラを回していた預言者が、小さな木箱から薄い膜のような物を出してきた。
「まさかこれを眼に……?」
「そうよ。上手い具合に目に入れて、使うものなの」
「傷つけそうで絶対嫌だわ」
「だよねぇ、残念。でも、つけなくてもアンタは充分に素敵人間だから、自信持って助けておいで!」
なんだろう、このズレは。私は助けてもらった子に告白でもしに行くのか? 命を助けようとしているのに、こんなに軽いノリでいいのか。そういや、肝心なことを聞き忘れていたな。
「で、女の子は今日の何時に死ぬんだ?」
魔法使いと預言者がテレビの時計を見る。ふたりとも顔を見合わせ、しまったとでも言いたげに眉をしかめていく。魔法使いが頭に手をやりながら言った。
「今からあと5分後ね」
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