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朝から茹だるような暑さは夕方になってもやみそうにない。
東京の西日が謙一の顔を照らした。眩しさに顔をしかめた。
ガードマンの夜勤に行かなければ。
謙一はのろのろと体を動かし、布団から上半身を起こした。
飯代わりの煙草を一服、吸った。
あの女に出会ったのも、こんな暑い日だった。
あの女に出会わなければ俺は今頃、焼津で、妻と子供のいるささやかな家庭の主として、それなりに幸せに暮らしていたただろう。
俺はあの女に人生を狂わされたとも言える。
だが俺は、あの女を愛したことを微塵も後悔していない。
21年前、謙一は焼津の漁港にいた。
早朝、船を操縦し、鯵や鰯を獲る。港に帰ると素早く餞別しカゴに詰め、競りにかける。それが彼の仕事だった。
子供の頃から父親の漁を手伝い、高校在学中に小型船舶免許を取った。
卒業後に漁協の組合員となり5年。最近では腰の悪い父親に代わり、謙一が殆ど全部の仕事をこなしている。
母親は謙一が9つの時に癌でこの世を去った。
父親は一人息子の彼が漁師になる事に反対した。
「お前は大学へ行って、普通の勤め人になれ」
「大学なんか行きたくないよ。それに、そんな金どこにある。俺は、漁師になりたいんだ」
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