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「何でも!お姉さんの声が聞きたくって」
満面の笑みを浮かべる少年の背後に尻尾の残像が見えた気がした。ぶんぶん全力で尻尾を振る子犬の如き愛らしさに光は唸った。可愛い。これは可愛い過ぎる。子どもなんて特に好きでもなかったが認識を改めなければならないかもしれない。
「アルコールでもあればなあ」
「はい!」
目の前に缶ビールを差し出された光は苦笑いした。特徴的な模様の缶は光がとっておきのときに飲むご褒美用の銘柄だった。少年が酒をすすめるなんてシチュエーションは非常によろしくない気がするが、夢らしいと言えば夢らしい展開だ。光は開き直って一気に半分ほど呷った。
「うーん……逆に君、何かないの?インタビューのほうが話しやすいよ」
「一番好きなことは?」
「仕事」
「どこが楽しいですか」
「楽しくないよ」
「じゃあ、どうして好きなんですか?」
光は再び缶を傾けた。舌の上で弾ける炭酸を味わいながら少年を見やる。無邪気にこちらを見つめる小さなシルエットの向こうには丘が続き、更にその先には無数の星が煌めく夜空が嘘のように広がっている。人工物のない世界観の中、手にした缶ビールが妙に浮いているのが可笑しかった。
ちっぽけだ、と思う。光はどこに居たって所詮ちっぽけな存在だ。だから戦う。光が必要だと認められるために、彼女は走り続けなければならない。
「楽しくないことを頑張るから、かな」
「……難しいです」
困りきって眉根を下げる少年は何とも情けない表情を浮かべていて、光は声を上げて笑ってしまった。缶に残った僅かな液体が揺れてちゃぷんちゃぷんと音を立てる。欠伸が漏れる。たったこれだけの飲酒でアルコールが回るとも思えないが疲れが溜まっているのかもしれない。
波に揺られるような心地よい感覚に光は大人しく身を委ねた。抗えない眠気に瞼を閉じる。遠くのほうで「おやすみなさい」と小さく声がした。振ろうとした手は力なく微かに震えただけだった。
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