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「完全に舐めてたわ……」
私の担当する子供は小学四年生の小柄な少年、ケン君だった。彼は知的障害に加えて自閉症も兼ねている。彼に対する前情報はそれだけだった。私の方は知的障害も自閉症も名前くらいの知識しか持ち合わせていない。
ケン君に目線を合わせて私は人好きのする笑顔を向ける。
「ケン君、今日はよろし――」
言い終わらない内に彼は明後日の方へ走って行ってしまう。
「あ、待って……!」
慌てて私も彼をとっ捕まえようと駆けた。
「こっから先は自由行動な。お前はケン君が危険じゃないようにフォローすればいいからぁ」
遠く先輩の声が追って来る。私は振り返るでもなく、後ろ手に手を振り無言でそれに応えた。
障害はあっても、彼の足は速かった。下り坂を転がるように駆けて行く。気を抜けば見失うかもしれない。森へ入られては厄介だと、私は舌打ちを零した。
「一人で行っては危ないよ。皆は大滑り台の方へ向かったよ」
自然村の一番人気スポットへ誘い掛ける私の言葉は、完全に無視された。
(っにゃろう……)
何処へ向かってるのか、彼は独走状態で駆けていた。そして、皆の向かった方とは大きく外れた場所にある丸太とロープを使ったアスレチック場に辿り着く。少し寂れたその場所に、他に人は誰もいなかった。
「こんなところにも遊具が在ったんだね。前に来たことあるの?」
まるで障害物競走のように、小さなトンネルをくぐる彼の後に続きながら訊ねるも、返事は貰えない。彼は彼独自のルールに従って、方々を駆け回っては一つずつアスレチックを愉しんでいく。それに倣って、私も従順に彼に付き従うが、如何せん子供用の作りである為、狭いところが多くて回り込んでは彼に追いついた。
「わっ、待って!」
もたついている私を置き去りにして、次の目的地へと走って行く彼に慌てた私は、目測を誤った。木枠に脛を思いっきり打ちつける。
「くっ……」
(弁慶の泣き所を……)
悶絶する私に何ら構うことなく、彼は走り去る。
(なんで私が……こんな目に)
ひょこひょこと、痛みを堪えて彼の背を追った。夏の暑さをものともしない子供の体力は底無しだ。私は額を拭い、彼が水分補給している回数を気に留めていた。
「ケン君は、大滑り台はいいの?」
リニューアルされたばかりのその巨大滑り台を楽しみにしている子は多かった。
返事どころか、見向きもしない。とは言え、そうだろうとは分かってはいた。それでも何かしら反応が返らないかと思っただけだ。そして、気づく。彼には聞く耳さえ無いようだ。完全にスルーされるという不思議な体験を私はしていた。
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