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暑い夏。
蝉のがなる声に、敬意を表したくなるほど今日は蒸し暑い。
「おはようございます」
大学二年の夏休み、私が始めたアルバイトは市の運営するプールの監視員だった。
「ああ、おはよう。随分と早いね」
始業10分前で早いと言われる職場は、のっけから欠伸が出そうなほど緩い。
「冷蔵庫にコーヒーがあるから、好きに飲んでいいよ」
市職員の田中さんが顎先で給湯室を示した。
「ありがとうございます。休憩時間にでも頂きますね」
此処は俗にいうお役所仕事の典型で、時給を気にしたような仕事量を与えられはしない。決められた予算通りに頭数を揃えれば、それで満足といった様子にあった。
仕事の手始めはプールの開放前に塩素濃度を測定し、時間が来れば受付窓口に座るだけ。そして、御客の大半は夏休みを迎えた小学生。彼らに気遣いは必要ない。気楽なアルバイトだった。
「おはよう。一番乗りだね。此処に名前と学年ね」
受け付け名簿に記帳して貰って、代金を受け取る。そんな調子で、ある程度のお客が入ったところで窓口は田中さんと交代する。
「監視に行ってきます」
「うん、暑いから熱中症に気をつけてね」
熱中症もさることながら、睡魔も相当に厄介である。
プール監視――水難事故が起こればそれは責任重大だが、大抵は何も無い。
今日も水魔ならぬ睡魔との闘いが始まる。
眠気対策として、私は監視しながらプール周りをひたすら歩く。歩きながらも襲ってくる睡魔は侮れない。そして、時間は止まったように、ちっとも進まない。
『暇こそが人間の最大の拷問だ』とは、誰の言葉だったか。そんな言葉が脳裏を過る中、下手くそな泳ぎの子供に目を留めた。溺れてるとまではいかない。でも、今にも溺れそうだ。
「ねぇ、大丈夫?(ただの練習?それとも溺れてるの?)」
自尊心を傷つけてはならないと、プールサイドから他の子に気取られないように声を掛ける。それでクロールなのか水面を必死で掻いている小学生は、話せる余裕も無かった。それでも目だけで会話を交わす。
「手を貸そうか?」
子供の眼が頷いたと同時に、ヒョイと彼の腕を取ってプールサイドにまで引き寄せた。手の届く範囲に居てくれてよかった。そして、何より彼が力尽きる前に発見できたことに安堵する。
「此処は一番深いところだから、端から五メートルの赤ラインから出ないように気をつけるといいよ」
そこまでなら、彼の身長でも足が付くだろう。
「あ、ありがとう」
こちらこそと、言いかけた口を微笑みに変えて誤魔化した。お陰ですっかり眠気が飛んでいた。
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