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10歳だった兄さんへ、35歳になる弟より
10歳だった兄さんへ
僕は今でも、夜の星を見上げることができません。
35年前に兄さんが最後に見た景色があんな夜空だったんじゃないかと思うと、僕はあのタイミングで生まれてきたことを悔やんでしまいそうです。
父さんと母さんから兄さんのことを聞いたのは、僕の10歳の誕生日でした。
父さんは仕事が休めず、母さんは僕の出産を控えていたために、10歳だった兄さんが独りで大阪のおじいちゃんとおばあちゃんの家に行くはずだったこと。その途中で、兄さんはお星様になってしまったこと。
「兄さんは、10年という期限つきで、うちの子になってくれたんだよ」
皆、優しくそうに言ってくれます。
本当は悲しいはずです。それなのに、僕の前では絶対に悲しむ様子を見せず、僕を責めることもしません。今でもそうです。
ふとしたときに、僕は考えてしまいます。
もしも兄さんが1本前の便に乗っていたら、1本後の便に乗っていたら、兄さんは星にならなかったかもしれないのに。
せめて、僕が1日早く生まれていたら、僕の記憶になくても、兄さんと僕は出会えていたはずなのに。
僕があと5分早く生まれていたら、兄さんと僕は数秒間だけでも同じ時間軸にいたのに。
僕は酷い人間です。
兄さんが乗っていた飛行機と航空会社を責める気はありません。兄さんと一緒にお星様になった人が数多くいるのに。
中学生になってから、兄さんがお星様になった事故について自分なりに調べてみました。悲惨な事故です。想像するだけで、ぞっとします。
それなのに、酷い怪我を負ってしまった人々の治療に迅速にあたり、マスコミから彼らを守った医療従事者に尊敬の念を抱いてしまいました。
今の僕は、看護師として病院で働いています。男がナースなんか、と言われたこともありますが、看護師の仕事も医療の仕事も誇りに思って日々業務にあたっています。
僕は兄さんに責められてもおかしくない人間です。
僕は毎年、この日に黙祷しています。
兄さんがお星様になった18時56分から、僕が生まれた19時1分までの5分間。
1年で1番長い5分間です。
仕事中の5分間もプライベートの5分間も短く感じるのに、あの日あのタイミングの5分間は、とても長く感じられます。つらいです。でも、兄さんは違う意味でもっとつらかったでしょう。
僕は酷いな人間です。
いつも勝手に、「あと5分早かったら」と悔やんでいます。あの5分間を空白の5分間みたいにつらく感じています。
本当はお上品に「僕」なんて言わず、一人称は「俺」です。
下町生まれ下町育ちのべらんめえな江戸っ子です。
今日仕事が終わったら、彼女と一緒に婚姻届を提出に行く予定です。
彼女は同僚の看護師で、星の輝く夜も一緒に歩いてくれる優しい女性です。
ごめんなさい。僕は今、兄さんを差し置いて、幸せになろうとしています。
もしも兄さんが許してくれるのなら、兄さんにお願いがあります。
どうか夜空から、僕達のささやかな幸せを祈ってもらえませんか?
僕は酷い人間です。
兄さんの分まで幸せになります。
これからも心のどこかで「あと5分」と悔やみ続けながら。1年に1度、18時56分から19時1分まで黙祷を捧げながら。
2020年8月12日
35歳になる弟より
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