第十三話 魔物の脂と石けん

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第十三話 魔物の脂と石けん

 薄暗い部屋の中央には、緑色の液体がぐらぐらと煮える大鍋が設置されている。周囲の棚には、古めかしい革表紙の本、広口のガラス瓶や壺がぎっしりと並んでいる。机の上には白いすり鉢や茶色の瓶。  鍋の匂いが殆どしないと思ったら、天井に穴が開いていて、回転する鉄の円盤が蒸気を吸い上げている。 「何だこりゃ?」  クレイグが物珍し気に鍋を覗き込む。 「万能軟膏です」  昔、祖母が作っていた軟膏の匂いに似ていて懐かしい。私も近づいてその匂いを吸い込む。 「……あれ? リミナの花の匂いがしませんね。もしもあるなら、入れるといいと思いますよ」  日光で乾燥させたリミナの花は、傷の治りを早くする効果がある。 「え? まさか!?」  顔色を変えた少年が、鍋に入れた材料を確認していく。その種類は三十以上で、とても複雑な組み合わせ。 「……入れ忘れていました。ありがとうございます。効かない軟膏を売ってしまう所でした」 「無くてもある程度は効くと思いますよ」 「効果が少しでも減れば不良品です。でも、どうしてわかったんですか?」 「匂いでわかりました」 「それは素晴らしいですね。僕ももっと匂いについて研究します」  喜んだ少年は、棚にならぶ材料を次々と紹介してくれた。 「えーっと、次はこれ。魔物の脂です。これで作った石けんは体臭を消してくれます」  半透明の灰白色の脂が、角切りにされて巨大なガラス瓶に詰められている。 「魔物がこの国にいるのですか?」 「ええ。僕は実物を見たことはありませんが、いるみたいですよ。時々入荷します」  外国にはいるという魔物も、この国では聞いたことがない。 「俺は何度か魔物を狩ったことがあるぞ。場所は言えないが、この国にも魔物が住む森がある」  狼に似た魔物と聞いて、私は震えあがり、少年は目を輝かせる。 「昔は周辺の村人を襲っていたが、今は森の周りで餌用にウサギが飼育されているから大人しくしてるらしい」  それは王子の幼い頃の発案だとクレイグが言う。最初は誰もが単なる子供の思い付きで無駄なことだと内心思っていたのに、ウサギが飼育されてから周囲の村の被害は全くない。今では村人の仕事の場にもなっているようだ。 「危険な魔物を全滅させないのは、何か理由があるのでしょうか」  少年が首をかしげる。 「村に出てきた魔物一匹狩るのも命がけだぞ。狼以上に狂暴で牙も爪も鋭い。黒い毛皮にギラギラと光る赤い目を見るだけで、普通の人間は動けなくなる。騎士や兵士は訓練されているから動けるが、油断すると一撃で人が簡単に死ぬ」 「魔物にとって優位な森の中では、逆に人間が追い詰められる。広い森を焼くこともできないし、大量の人死にがでるより、餌付けするほうが平和でいいってことだろ」  ますます童話の中の理想の王子の印象が強くなる。茶色の髪と瞳で、いつも柔らかな笑顔を浮かべる完璧な王子は、遠い世界の人。  少年が魔物の脂が入ったガラス瓶を開けると、酷い匂いがした。臭くて倒れそう。 「変わった匂いだな」 「そうですね。これで作った石けんも変わった匂いになるみたいです」 「私には無理です。匂いの良い石けんにしましょう!」  鼻をつまんでみても体に匂いが染みつきそう。これを鍋で煮溶かすことを考えると部屋が大惨事になるのは想像に難くない。 「どうして、二人とも平気なんですか!?」 「いやー、そう言われてもな」 「ええ。変わった匂いですけど、そんなに匂いますか?」  男二人は仲良くガラス瓶に鼻を近づけている。信じられない。  私の猛烈な抗議でガラス瓶は閉じられた。酷い匂いは天井の穴に吸われて平和が戻る。 「魔物の脂の石けんは却下です! 普通の石けんにしましょう!」  どれだけ性能が良くても、臭い物は苦手。  私は、他の石けんの材料を見せてもらうことにした。
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