第十五話 騎士の懐

1/1
前へ
/62ページ
次へ

第十五話 騎士の懐

「あー、良い匂いー」 「そんなに気に入ったなら、その花で俺に香油を作ってくれ」 「え?」  花を乗せた私の手を引き寄せてクレイグが香りをかぐ。指先が唇に触れてしまいそうな近さ。その手の温かさと瞳を閉じた表情を見て、胸がどきどきと音を立てる。 「俺に花の匂いなんて、似合わないか?」 「大丈夫。クレイグに似合うように調香します。任せて下さい!」  精悍なクレイグには爽やかな香りが合うと思う。この花を中心にして柑橘の香りを加えてもいいし、香草や香辛料を足してほのかに刺激的にしてもいいかもしれない。先程購入した香木の甘さも面白いかもしれない。考えるだけで心が躍る。  熱くなる頬も胸のときめきも、きっと香りの配合を考えているせい。 「じゃあ、頼む」 「はい」  答えるとクレイグの手がそっと離れてしまった。残念な気持ちを隠して微笑む。  クレイグが恋人だったらいいのにと、今日は何度思ったことだろう。でも現実は残酷。私はクレイグの抱き枕であって、古城での暇つぶしの相手でしかない。三カ月が過ぎればクレイグは王城に戻るし、私は侯爵家の屋敷に戻る。  お嬢様が王子妃候補に選ばれたらいいのに。王子の婚約者になれば王城での生活が待っている。そうすれば私も王城へ行くことができる。……そんなことをぼんやり考えて、近くにいても何かが変わる保証はないと思い直して前を向く。 「どのくらい必要ですか?」  少年に尋ねられて我に返る。あまり売れない花ということで、これも値段は安かった。大きな瓶に入ったもの全部と追加で注文する。 「袋にいっぱいだな。こんなに必要なのか?」 「初めて使う花なので、どれだけ精油が取れるかわかりませんが、小指の先半分くらい取れたら良い方ですね」  蒸留法と抽出法と、どちらも試してみたい。この麗しい香りが、どう変化していくのかとても楽しみ。 「じゃあ、全部を古城まで届けてくれ。門番には言っておく」  他の材料と道具を追加で注文して、私たちは魔道具屋を出た。       ◆  胡散臭い裏通りを早々に通り抜け、賑やかな市場を並んで歩く。 「あの……恐ろしい金額になっていると思うのですが……」  魔道具屋では目の前で金額計算が行われて、背筋が寒くなるような金額になっていた。 「ん? そうか? 俺はよくわからんが、あれだけ複雑な装置と道具なら、あの値段は妥当な所だと思うぞ。ちゃんと職人に金が行くなら問題ないだろ」 「いえ……そういうことではなくて……」  何でも気前よく買っているけれど、クレイグは貴族ではなく、騎士。騎士の給金がどれだけもらえるのかわからない。 「もしかして、俺の懐具合の心配か?」 「……ええ。使い過ぎではないですか?」  意地悪な笑顔になったクレイグが、私に一月の給金を耳打ちした。 「は!? そんなに!?」  とんでもない金額を聞いた。私の給金の百倍近い。 「本来は個人の屋敷を持って使用人を雇うのが普通らしいが、俺は王城の居室で暮らしてるし使う機会がない。貯まる一方だから、ぱーっと使いたくなることもあるってことだ。気にするな」    クレイグも王子と同じで遠い人だと確信。これ程の高給取りの恋人なんて夢のまた夢としか思えない。 「騎士っていうのは命がけだ。国の為、国民の為にいつ死ぬかわからない。悪いが三カ月の間、俺の遊びに付き合ってくれないか」  笑顔でそう言われると、拒否はできない。私にいろんな物を買い与えるのも抱き枕にすると言うのも、すべては重責の中の息抜き、単なる気晴らしでしかないのか。あまりにも艶のない話だと諦めにも似た苦笑が漏れる。 「金銭で遠慮することないからな。思う存分使ってくれ」 「残念ですが、もう道具も材料も揃いましたので、これ以上浪費することはできませんよ」  遠慮は消えても、高額であることは変わりない。 「三カ月で、クレイグに似合う香りを私が作ります。任せて下さい」  これは短い夢。そう思って楽しもう。 「それは楽しみだな。さて、次の店に行くか」 「は? もう材料は揃いましたよ?」 「まだ昼過ぎだ。古城に帰っても何もすることないだろ?」  確かにそれはそうだ。道具や材料が届けられるのは五日後。 「どこに行くんですか?」 「行けばわかる」  やたらと明るく笑うクレイグに、私は同行するしかなかった。
/62ページ

最初のコメントを投稿しよう!

180人が本棚に入れています
本棚に追加