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第十七話 馬具の採寸
クレイグが注文しようとしている二人乗りの鞍というものが全く想像できない。今、馬に付けている普通の鞍でも、十分二人が座れる大きさなのに。
「まずは腕の長さからだな。腕を前に出して」
カーティスの言われるままに動くと、さっとあちこちを採寸される。巻き尺の数字が読み取れているのか疑問に思う速さで進む。
「次は脚の長さだな。スカートめくって……」
その言葉に驚いて一歩下がるとクレイグの拳がカーティスの頭に落ちた。
「ってててて! 冗談に決まってるだろ?」
「性質の悪い冗談だな」
「久々にやるか?」
エプロンを脱ぎ捨てたカーティスの挑発に乗ったクレイグが、上着をすばやく脱いで私に手渡す。
何が起きているのかわからないうちに二人が殴り合いを始めてしまった。どうしたらいいのかわからずに、おろおろしながら見ているしかない。
「ああ、よくあることだから、見てるといいよ。別に危なくはないから」
そばにいた職人に勧められるまま、木箱に座って眺める。
落ち着いてみると確かに危ない喧嘩ではないとわかった。顔や急所は狙わないという暗黙の了解があるようだ。拳を避ければ笑顔も浮かぶ。
仲が良い友人。そんな感じがしてうらやましい。私には友人はいない。侯爵家に務める人々は老齢で、私の母や祖母と言ってもいいくらい。友人というより人生の先輩方。
二つ年上のお嬢様はいつも親切で気さくに接して下さるけれど貴族と平民。さらに異世界人。価値観も常識も異なり過ぎていて、何でも話せる親しい仲になるのは遠慮してしまう。
古城に来て同年代の他の侍女と話したいと思っても、王子妃候補を巡る審査の最中では誰もが周囲を警戒している。話し掛けても無視されるばかり。下働きの女性と話そうと思っても、人手が足りなくて忙しいのか足早に歩いていってしまう。人手が増えたら話す余裕もできるだろうか。
「うへー。降参降参!」
素早い拳をぎりぎりで避けてカーティスが両手を上げた。二人ともシャツの袖で流れる汗を拭いて息を整えている。ふわりと漂う汗の匂いは不思議と不快なものではない。
クレイグよりも細身のカーティスの腕やシャツから覗く胸元には筋肉がしっかりと付いている。手加減していたとはいえ、騎士のクレイグと互角のように思えた。馬具屋の店主がこれだけ戦える理由は何だろう。
「男の喧嘩は珍しいか? 驚いてる顔も可愛いなー」
大きな口で笑うカーティスの言葉にどきりと胸が高鳴る。可愛いと言われて喜ぶ歳ではない、大人げないと心の中で否定しながらも言われると嬉しい。単なる社交辞令だと思っても、頬に羞恥が集まっていく。
「いいから、真面目に採寸しろ」
口をへの字にしたクレイグが私の肩を掴む。その手の強さで朝のことを思い出し、心が落ち着きを無くしていく。クレイグは、私のことを可愛いと思っているだろうか。
……何かを期待しては駄目。クレイグは王子と同じ遠い存在だと思い返すと、すっと心の熱さが冷えていく。
「俺はもともとクレイグと同期の騎士見習いだったんだ。で、見習い期間に馬具の方に興味を持った。騎士になる前に王城を飛び出して、ここに弟子入り。今に至るって訳だ」
「騎士見習いだったのですか」
平民が騎士見習いになる為には、様々な試験があると聞いている。鍛えられた体もそのせいか。
「そ。見習いでなくなっても、毎日の鍛錬が癖になってて止められない」
カーティスがシャツの袖をまくった腕を曲げて力を込めると、二の腕に力こぶが浮き上がる。
「……凄いですね!」
「うわー。すげぇ素直で可愛すぎ!」
初対面なのに褒め過ぎだと思っても、可愛いと言われるのは悪い気がしない。
「気を付けろ、こいつはいつもこうやって女の機嫌を取る」
肩を掴んだままのクレイグの言葉を聞いて、やっぱりそうかと苦笑しか出てこない。
「カーティス、仕事しろ。他の店に頼むぞ」
「おーっと、それは困る困る。良い物作るから勘弁してくれよ」
明るく笑うカーティスと、口をへの字にしたクレイグに挟まれながら、私の採寸は続いた。
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